復讐は我が手の業(わざ)

番外編〜十三年前 秘密クラブ『ミラージュ』にて

「ああん、木島センセ、スゴすぎ・・・!」
私に組み敷かれた少年は、大仰な嬌声を上げて、欲情を煽るように体をくねらせた。
その見え透いた芝居にしらけてしまい、私は少年を離した。
彼は、私が満足したものと思ったらしい。首に手を回して猫なで声を出してきた。
「ねえ木島センセ、俺、ほしい時計があるんだ」
「時計?お前が時計なんかに興味があるとは知らなかったな。あんなにご執心だった車はどうした?」
私がマルボロの箱に手を伸ばすと、少年はさっとライターを差し出してきた。
よく仕込まれたサーカスの動物のように。
私のくわえた煙草に火をつけながら、少年は甘えた声を出した。
「もちろん、センセが買ってくれたポルシェは大事に乗ってるよ。最高だよ!
でも、ケンジのやつが言うんだ。
そんな安物の腕時計してポルシェ乗るなんてみっともない。 成り上がり丸出しで恥ずかしいって。
で、自分のカルティエを自慢しやがるんだ。くやしくて」
少年は口を尖らせた。
「木島センセ、お願いだよ。ケンジのやつをぎゃふんと言わせてやりたいんだ。
すごい時計買ってよ。ねえ、センセ、俺のメンツを立ててよ」
東京の夜景を一望できる超高層マンションに暮らし、身につけるものは高級ブランドで固め、 オフの時間は外車を乗り回す。
何の不自由もない暮らし。
金ならいくらでも手に入る。
このミラージュで客の相手さえすれば。
数時間、自分の体を男に差し出しさえすれば、 ひと月汗水垂らしてバイトして得る金なんかの数倍のものが手に入る。
まじめに働くのがばからしくなるのも当然だろう。
人間はたやすく腐る。特にこの街では。
この少年がここで働くようになってから、ひと月も経ってない。
街が豊かになるのに比例して、人間が腐るスピードは加速する一方だ。
「考えておこう」
私がそう答えると、少年は媚びを売るように卑屈な笑みを顔いっぱいに浮かべた。

タバコの吸殻を、少年の差し出した灰皿に捨て、ベッドから立ち上がろうとした時だった。
「やめろ!!」
男の怒号が部屋の外から聞こえた。
何事かと少年が顔を曇らせる。
とたんに、ガラスの割れる盛大な音がした。
「あの悪魔を出せ!!」
先ほどの男のものとは違う声が響いた。
もっと若い男の声だ。
「一体、何の騒ぎ?」
私に媚びを売っていた少年も、この尋常でない様子を不安に思ったらしい。
部屋の扉を開けて、外の様子をうかがおうと顔を出した。
「わっ」
とたんに少年は悲鳴を上げて、無様にしりもちをついた。
「どこだ!あの悪魔はどこにいる!!」
風のように、一人の少年が部屋に飛び込んできた。
全裸だった。
だが、むき出しの白い肌よりも、私は彼のその瞳に釘付けになってしまった。
「ここに隠れてるのか!?」
彼は獣のように吼えると、この部屋の中にあるあらゆるドアを開け始めた。
「出て来い、悪魔め!」
私も彼に跳ね飛ばされた少年も、呆気に取られてしまい、彼の行動を見つめることしかできずにいた。
とても声をかけられるような雰囲気ではなかったのだ。
彼の様子は普通ではなかった。
どこに隠れてる!?と叫びながら、髪を振り乱し、目尻をつり上げて、 クローゼットやらトイレやらのドアを開いては飛び込んで、 中に誰もいないと分かると、次の扉を探す。
彼は「悪魔」とやらを探しているようだが、私からしたら、彼の振る舞いの方がよっぽど悪魔じみている。
悪魔にとり憑かれているとしか思えない。
「このクソガキ、待て!!」
バタバタと足音がして、男たちが部屋に駆け込んできた。
彼らの顔には馴染みがある。
この店のスタッフたちだ。
「木島先生、申し訳ありません!」
ベッドの上の私に気付くと、男たちは深々と頭を下げてきた。
「とんだ不始末を・・・
すぐにこいつは連れて行きますので」
『こいつ』と呼ばれた少年は、茶色っぽい髪を振り乱し、未だに悪魔を探し続けている。
「来い!」
男の一人が少年の腕を掴んだ。
少年は真っ黒い瞳で男を睨むと、その手に歯を立てた。
「ぎゃあっ!」
男はたまらず悲鳴を上げた。それはそうだろう、少年に噛まれた腕からは真っ赤な血が流れている。
「このガキ・・・!」
それを見て、他の男たちはいきりたち、一斉に少年に拳を上げた。
少年は素早く動いた。
大した運動神経だ。
私は感心した。
だが、さすがの彼も、全ての拳を避けることはできなかった。
殴られてもしかし、少年は男に飛びかかると、手当たり次第に噛みつき始めた。
これには、さすがに男たちの方が怯んでしまった。
「・・・オオカミにでも育てられたか、このガキは」
中の一人が呆れたように、呟いた。
まったく、その様子は人の子とは思えない。
これで言葉を喋っていなかったら、ジャングルで育ったと言われても信じてしまうところだ。
私はスタッフの一人をつかまえて、そっと尋ねた。
「あの少年は?見ない顔だが」
このミラージュに所属する少年で、私が指名したことのない者はないはずだ。
それを察したスタッフは言った。
「あれは、数日前にチンピラが連れてきたガキなんですけどね。 ここで引き取ってくれって。見た目はいいから、売り物になるだろうって。
確かに見た目は上等なんで、引き取ってはみたものの、この有様で。
悪魔の何のとワケの分からないことをほざいて、暴れまわるので、 躾もできやしない。
これじゃ、お客様にお出しできませんよ。
売り物になりゃしない」
男は肩をすくめてみせた。
私は少年に目を向けた。
白い肌の上には、転々と痣が浮いて見える。
内出血の跡だ。
よほどひどく殴られでもしない限り、こんな痣はできない。
足には、赤黒く乾いた血がこびりついている。
よく見れば、白い内腿は鮮血に染まっていた。
『躾』と称して、彼らがこの少年にどんなことをしてきたのか・・・想像がつくというものだ。
「あの悪魔を出せ!!」
少年は目を血走らせ、叫んだ。
「・・・だから、悪魔ってのはなんだ?そんなもの、いやしねえよ」
店の従業員の一人がくたびれ果てた表情で、少年に答えた。
「悪魔は悪魔だ!おれをここに連れて来た奴だ!」
少年が怒鳴り返す。
その攻撃的な態度はあいかわらずだが、何とか会話がかみ合ってきた。
「あのチンピラか?ニコラスとかいう・・・」
スタッフの一人から返ってきた返事に、少年は頷いた。
「あの悪魔を出せ!お前ら、奴の仲間なんだろう?」
「ニコラスの居場所なんて、知らねえよ。
あいつは香港からの流れ者だし」
「嘘をつくな!あの悪魔を出せ!!」
再び、少年は狂ったように暴れ始めた。
「・・・いい加減にしなよ、あんた。
あんたをここに連れてきた、そのニコラスってやつ? そいつは悪魔なんかじゃない。
あんたにとっちゃ、救いの神・・・あんたは、そいつに感謝すべきだ」
床に尻をついていた少年が立ち上がり、闖入者に冷ややかな目を向けた。
「・・・なんだと?」
全裸の少年が睨み返す。
二人は同じくらいの年齢だろう。高校生くらいだ。
だが、その姿は対照的だった。
一人は、艶々とした血色のよい肌に絹のバスローブをまとい。
もう一人は、殴られてできた痣だらけの肌をむきだしにして、足の間から血を流している。
私の相手をしていた少年は、路上のゴミをあさる薄汚い野良犬でも見るかのように、 軽蔑しきった目を向けた。
「分からないの?あんた、本当に馬鹿だな」
鼻先で笑った。
「ここは、天国だ。
学校なんて行かなくていい。勉強も仕事もしなくていい。
食いたいものも、着たい服も、欲しいものはなんだって手に入る。
ここにいれば、何の心配もいらない。
あんたは見た目もいいからな、うまくやれば、一生遊んで暮らせるだけの金を稼げるぜ」
「・・・金なんかいらない」
闇よりも深い黒い瞳がきらりと光った。
「悪魔どもよ、おれの魂でも命でも、何でもくれてやる。
だから、父さんと母さんを助けてくれ。
二人は悪くない。
お前を呼び出したのは、このおれなのだから。
ほしいものがあるのなら、おれから奪えばいい。
この体を好きにしていいから、父さんと母さんを助けて――!!」
喉が破れそうなほどの絶叫。
狂ってる。
目の色が尋常じゃない。
私の相手をしていた少年も、店のスタッフたちもみな、その姿を目の当たりにして青ざめた。
これは、おれに下された罰。
分かってる。
逃げたりなんかしない。
おれを罰すればいい」
少年が両手を広げて、男たちに踏み出す。
彼らは反射的に後ずさった。
「おれを好きにすればいい」
狂った目をした少年が笑いながら近づいてくる。
足の間から血を流しながら。
誰も彼に手を伸ばす者はいなかった。
さすがにキチガイを抱こうとするほど悪趣味な者は、ここにもいないのだろう。
「さあ、奪え!」
乾いた笑い声が部屋にこだまする。
が、唐突にそれは途絶えた。
体の方が耐えられなかったらしい。
その痩せた体は朽木のように床に崩れ落ちた。
子供のようにぺたりと床に座りこむ。
「・・・本当にイカレちまったか」
「どうする?」
「売り物にならないのなら、ここには置いておけねえだろ」
「見た目だけはいいから、買ってくれる客はいそうだよな」
「誰かに引き取ってもらおうぜ」
従業員たちが顔をつきあわせて、こそこそと少年の身の上について相談している。
少年はうつむいていた。
ぐちゃぐちゃに乱れた髪がかかって、その顔は見えない。
ぽとり、ぽとりと落ちた雫が床を濡らしている。
店の男たちは、頭のおかしくなった少年をどう始末するか、そのことに夢中で、 彼の様子が変わったことになど気付いていない。
「・・・泣いているのか」
私はその傍らに膝をつき、少年の顎をつまんで上向かせた。
その瞳はガラス玉のようだった。
まるで綺麗な人形だ。
しかし、そのガラスの珠からは、涙がとめどなくあふれている。
私はそっと指でその涙を拭った。
「・・・お父さん・・・?」
うつろだった目がふいに焦点を結んだ。
濡れた瞳に、私の顔が映っている。
少年は、体を私に向かって投げ出してきた。
「ごめんなさい!ごめんなさい、お父さん・・・おれのせいだ。
おれがあんなことを願わなければ・・・あの悪魔を呼び出したのは、おれなんだ!」
お父さん、ごめんなさい。少年は私にすがりつき、泣きながらそう繰り返した。
「許して、お父さん。許して・・・!」
「泣かなくていい」
私は少年の背中を軽く叩いてやった。
「愛する息子を責める親がどこにいる」
私がそう言ってやると、少年は涙にぬれた美しい瞳をひたと向けてきた。
「お父さん。おれを許してくれるの・・・?罪に汚れたおれを・・・」
「許すもなにもない。お前を愛しているのだから」
少年はきれいな目を見開いた。
涙が一筋流れ落ちた。
少年は瞳を閉じ、そのまま気を失った。
「医者を呼べ。この子の怪我の手当てを」
少年を抱きかかえた私の声に、男たちははっと顔を上げた。
「この少年は私が買う。
だから、ここに置いておけ」
「え?はあ・・・木島先生がそうおっしゃるのなら」
店のスタッフたちは目をしばたいていたが、利にさとい彼らのこと、 すぐに何が一番自分たちにとって得になるのか、理解したようだ。
医者を呼びに、走り出していった。
「木島センセってば、本当にSなんだから」
先ほどまで私の相手をしていた少年が、くすくすと楽しそうに笑っていた。
「そいつってば『奪って』なんて迫ってきたりして、超積極的。
アソコが裂けて血が出てるってのに、まだ男をくわえ込もうとするんだから、 よっぽどイジメられるのが好きなんだな。
綺麗で何でもさせてくれる頭の弱い子にはかなわないよ。
いいなあ、センセに可愛がられて。おねだり し放題じゃん。
でも、センセ。たまには、おれにも会いに来てね。
頭のイカレた奴相手じゃ退屈しちゃうよ」
少年は可愛らしい顔いっぱいに歪んだ笑みを浮かべると、シャワールームに消えていった。
「・・・お父さん・・・」
腕の中の少年が呟いた。
その表情は、先ほどまでの狂乱ぶりが嘘のように穏やかになっていた。
私の腕をぎゅっと掴んでいる少年の指を一本ずつほどくと、 少年の体をベッドに横たえた。
「んん・・・」
少年は柔らかなシーツに頬を寄せ、子猫のように体を丸めた。
すやすやと安らかな寝息をたてている。
彼は狂ってなんかいない。
その瞳の奥には聡明な輝きが残っていた。
本当に狂ってしまえたら、彼にとってはどんなに楽なことだろう。
金と快楽に、魂を売り渡してしまえる者は幸せだ。
魂を腐らせてしまえば、悩むことも苦しむこともないのだから。
でも、彼は狂えなかった。
狂気に逃げることを、彼は自分に許さなかったのだ。
――やっと見つけた。
絶望に包まれたこの世界でも、決して腐ることのない美しい魂を。
私は、全裸の少年の体に毛布をかけた。
「・・・そう言えば、名前を聞いていなかったな」
そう気付いて店のスタッフを呼ぼうとしたが、まあいい、と思い直した。
名前は次に会ったとき、聞けばいい。
この少年を買う初めての客として会った時に。
これから、長い付き合いになるのだから。


END


最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!
響はファザコンなんだと思います・・・



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