復讐は我が手の業(わざ)4〜Only God would know reasons・・・

#1

最後の患者を見送って、診察室を片付け終わったとたん、「グウ」と腹の虫が鳴いた。
冷蔵庫には、先ほどレンが届けてくれた差し入れが入っている。
今夜の献立は、鶏肉の香草焼きにミネストローネだ。
焼けたチキンの香ばしい匂いを思い出すと、腹の虫が催促するようにさらに鳴いた。
同居人はまだ仕事から戻ってないが、空腹には耐えられない。
先に食べながら、待つことにしよう。
静馬は診察室を後にすると、奥の台所へと続く細い廊下をいそいそと進んだ。
だが、その途中で、静馬は自分の認識が間違っていたことに気付かされた。
開け放たれた襖の向こう、縁側の先に広がる庭に、一人の男が佇んでいる。
タバコをくわえながら、小さな花壇の隅を見つめていた。
その横顔は、静馬の待ち人のものだった。
「なんだ、響、帰ってたのか。
夕飯、食おうぜ」
静馬が家の中から声をかけると、名を呼ばれた彼は「ん」と小さく返事して、 縁側から上がりこんできた。
「外から帰ってきたら、きちんと手を洗ってうがいすんだぞー」
「子供じゃあるまいし、いちいち指図するな」
静馬の声に、彼の同居人は冷ややかな返事をよこしながら、洗面台のある奥へと姿を消した。
――ところで、響の奴、庭でなにしてたんだろう?
ふと気になって、静馬は彼の立っていた庭の片隅に目を向けた。
庭の端にある花壇には、紫蘭を植えている。
その花言葉を知って以来、十三年前の事件で亡くなった人に捧げるために、 大事に育ててきた花だ。
まだ花の季節ではないから、ただの草と区別がつかないが。
特にいつもと変わらないように見えたが、夜風に草が揺れたとき、影が見えた。
どこかで見たことのあるシルエット。
「あれは・・・」
月の淡い光に照らしだされていたのは、いびつに歪んだ黒い鋼(はがね)のオブジェだった。
「・・・十字架」
十字架にしては変に歪んで煤で黒ずんでしまっているけれど、 それは仕方のないことだ。
十三年前のあの夜に、炎にあぶられたのだから。
「あの教会跡の十字架が、なんでうちの庭に?」
静馬は、大きな目玉をくるりとさせて考え込んだ。
うーんと唸って必死に記憶をたどる。
その時、頭の中に閃光が走った。

食事を終え、風呂に入った静馬は、特に念入りに体を洗った。
風呂から出ると、先にシャワーを済ませていた響は既に布団にくるまっていた。
「響、お前、明日は非番だったよな?」
静馬が尋ねると、
「そうだが?」
響は面倒くさそうに返事を放ってきた。
布団の中で丸めた背中をこちらに向けたままの姿勢で。
ぶっきらぼうな態度はいつものことだ。
静馬は気にも止めず、その華奢な背中に手を伸ばした。
「なら、いいよな」
「は?・・・な、なにをするっ!?」
「何って・・・昨日の夜の続きに決まってるだろ」
「つづき?」
「昨日はキスまでしかできなかったから、今夜こそは最後の一線を――」
「おっお前、覚えてないんじゃなかったのか!?」
いつもの彼らしくもなく、慌てふためく響の様子に、静馬は確信した。
「そうか、やっぱりあれは夢じゃなかったんだ。
てっきり夢かと思ってたんだけど」
「いや、夢だ。タチの悪い、ただの夢だ」
「オレの夢だったら、なんでお前に内容が分かるんだよ?」
「・・・う」
「なあ、響・・・」
「・・・やめろ。おかしなマネをしたら、舌かんで死ぬ」
「え?」
「おれは本気だ」
響の目はマジだった。
静馬は困惑する。
「おやすみ」
響は冷ややかに言い捨てると、静馬に背を向け再び布団に潜り込む。
静馬は一人、夜の中に取り残された。

「うーん、気まずい・・・」
再び訪れようとする夜を前に、静馬は診察室で腕組みをしていた。
昨日の夜、あんなことがあった後、今日は朝から響とまともに顔を合わせてない。
静馬が病院を開けるために朝起きた時には、響はまだ布団をかぶって眠っていた。
非番の日はいつもこうだ。
昼近くにならないと起きてこない。
そして、いつもなら、 病院が昼休みになる間、一緒に食事(静馬にとっては昼食、響にとっては朝食)を取るのだが、 今日はたまたま往診の依頼があって、外に出かけることになった。
なんだかんだで、一日同居人と顔を合わせることがなかったのだ。
ラッキーなことに。
だが、もう診察終了の時間だ。
腹の虫が鳴いている。
しかし。
昨夜あんなことを言った後で、 響と二人、差し向かいで食卓を囲む図を想像して、静馬は思った。
――非常に気まずい。
二人きりじゃ、気まず過ぎるだろう、やっぱり。
静馬に思いつく解決策は一つしかなかった。

「はあ・・・」
カウンターの向こうでグラスを磨いていた若者がため息をついた。
その中性的な美貌をせつなげに曇らせて。
それは、静馬にとって、願ってもないきっかけだった。
狭い家に響と二人きりじゃ、あんまりにも気まず過ぎる。
それで、家を出て、友人のレンがやってる小さなビストロにやって来た。
わざわざ出かける前にレンの店に電話をかけて、席が空いているかどうかの確認までして。
そうして予約したカウンターの隣の席では、 響が仏頂面して黙々とスプーンでパエリヤを口に運んでいる。
二人の間に流れる微妙な空気を変える機会はないものかと、 最前から鵜の目鷹の目で狙っていた静馬にとって、 それは飛びつかずにはいられない特上のネタだった。
「どうした?レット。元気ねえな。具合いでも悪いのか?」
すかさず、若者の名を呼んだ。
レンの店でバイトしている、海と同じ色の瞳を持った異国の青年。
かつて素行不良の高校生だった静馬を、何かと気遣ってくれた交番のおまわりさん―― 兜(かぶと)と一緒に暮らしている若者だ。
最初は、レンが足を怪我している間の助っ人として雇われた彼だったが、 生来の人懐っこさで店の常連にも気に入られ、 今ではすっかりこの店になじんでいた。
保護者として、さんざんアルバイトに反対していた兜も、 この若者に懇願されて、ついには折れたらしい。
なんだかんだ言ってもレットの言うことには逆らえないとは、 まるで年頃の娘を溺愛する父親みたいだ。
恩人と慕う男の意外な一面を、静馬は微笑ましく思っていた。
でも実際、このレットという若者は、気はきくし、働き者だし、兜のことを心から慕っている。
息子ほど・・・と言うのは大げさだが年の離れた弟のような若者に、 それも、男とはいえ、街を歩けば誰もが振り返る麗人に、 こうまで懐かれたら、誰だって悪い気はしない。
兜が彼の身を心配し、可愛がるのも当然だろう。
声をかけてきた静馬を見上げると、レットはにっこりと微笑んだ。
「ううん、ドクター、どこも悪くないよ」
「じゃあ、悩み事か?
言ってみろ。
何でも相談にのるぞ、オレたちが。なあ?」
静馬は、隣に座る響にそう声をかけた。
「おれまで巻き込むな」
パエリアを完食した響は仏頂面を崩さないまま、白い煙を吐いた。
「ああ、こいつのことは気にしないでいいから。
ちょっとばかり素直になれないだけさ」
静馬は小声でレットに囁くと、
「さあ、何でも言ってくれ。
遠慮はいらねえぞ」
どん、と胸を叩いて請けあった。
そんな静馬を、隣から響がしらけた目で見ている。
「ありがとう、ドクター。
おれの悩みはね」
レットは愛らしい笑みを浮かべて言った。
「兜がセックスしてくれないんだ」
その青い瞳を見れば分かる。
彼は冗談を言っているわけではない。
遠い異国から来た美しい若者は、真剣に悩んでいるのだ。
「・・・」
予想外の返事に、静馬は思わず固まった。
――二人はそーゆー仲だったのか。
あの兜さんがねえ・・・
それは十分驚くに値する事実だったが、 静馬が思ったことはいたって単純だった。
――兜さんってば、なんて、羨ましい。
こんなにまっすぐに愛してくれる人がいるなんて。
それにひきかえ、自分は・・・
思わず隣を振り返ると、響が激しく咳き込んでいた。
タバコの煙を変に吸い込んでしまったらしい。
「おい、大丈夫かあ?」
静馬がその背中をさすってやる。
しばらくの間、咳き込んでいた響だったが、やがて、顔を上げた。
その頬は、完食されたパエリヤの皿に残されたエビの殻よりも、鮮やかな朱色に染まっている。
響は真っ黒い瞳で目の前の若者を睨みつけると、怒鳴りつけた。
「知るか、そんなこと!!」
いつも、ツンと済ましてポーカーフェイスを気取っている彼だが、 下ネタというか猥談というかそのテの話題には、非常に過敏に反応する。
生真面目な中学生みたいだ。
「ま、まあまあ」
あわてて静馬が二人の間に割って入る。
「夫婦のセックスレスは、最近けっこう問題になってるからなー」
「こいつらは夫婦じゃないだろうが」
その場をとりなそうとする静馬の言葉に、響はますます不機嫌な顔になる。
「馬鹿馬鹿しい。付き合えるか、そんな話」
「そんなこと言うなよ。
レットにしてみりゃ、そりゃ深刻な問題だろ。
好きな人の気持ちが分からないってことなんだから。
不安にもなるわな」
そうフォローしてやると、レットはこくりと頷いた。
「やっぱり、俺じゃ駄目なのかな・・・」
異国の若者は、はあ、とせつなげにため息をついた。
「そんなことないって」
静馬が励ますと、レットは首を振った。
「でも、俺には響みたいなかわいいところ、ないし」
「・・・年下のガキに『かわいい』なんて言われる覚えはない」
むっとして、響が口をはさんできた。
だが、レットは綺麗な流し目を響によこすと、
「だって、部屋の灯りを消さないと恥ずかしくてできないって、 ドクターに部屋を真っ暗にさせたんでしょ。
俺にはそういう初々しさがないから駄目なのかな・・・」
レットは真剣に考え込んでしまった。
が、その発言はその場に爆弾を落とすことになった。
「・・・しーずーまー」
「し」と「ず」と「ま」の間に、くっきりはっきり殺気を漂わせながら、響は隣の男を振り返った。
だが、危険を察した静馬は、すでにカウンター席から立ち上がり、客のいない丸テーブルを間に置いて響と距離を取っていた。
「落ち着け、響、な?」
「今の話はどういうことだ?こいつに話したのか?」
「いや、だって、嬉しいことは友達と分かち合いたいと思うじゃん?」
「他人にベラベラ話すようなことじゃないだろうがっ!!」
「いや、つい・・・」
「ついじゃない!!
こら、逃げるな!!」
「だって、お前、手加減する気ねえだろ?
いくらオレでもお前に本気でぶっ飛ばされたら、タダじゃすまねえよ」
響と静馬は丸テーブルの周りで、永遠に終わらない鬼ごっこを続けている。
「・・・二人は本当に仲良しだなあ。羨ましい」
はあ、と再びレットは悩ましげにため息をつく。
「全然よくねえよっ!響に殺されるっ!
おい、レット、お前のせいなんだからな、どうにかしてくれ!」
静馬は、カウンターの向こうのレットに助けを求めた。
「しょうがないなあ」
異国の若者は、響に青い瞳を向けた。
「ドクターを許してあげてよ。
でないと、ドクターから聞いた話、お店の常連さんたちにみんな喋っちゃうよ?」
魔法にでもかかったように、たちまち、響の体が硬直した。
「この・・・!!」
忌々しげにレットを睨みつけていたが、やがて響はくるりと背中を向けた。
「不愉快だ。帰る」
荒々しい足音を立て、乱暴に店の扉を開くと、肩をいからせたまま出て行った。
「ちょっと待てよ、響!響ってば!」
その後を静馬の大きな体が追いかけていく。
「本当に二人は仲良しだなあ」
そんな二人を見送って、レットは羨ましそうに呟いた。


#2へつづく


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