虎徹さんの受難


「んで、バニー、今夜はどうする?」
雑誌の取材が終わると、おじさんが当然のような顔をして尋ねてきた。
それが違和感の始まりだった。
仕事の同僚である僕とは、腹を割った付き合いをしなければならない――
彼はそういう古臭い考えの持ち主だったから、 「ちゃんとメシ食ってる?美味い店教えてやろうか」だの 「これから一緒に飲みに行かない?」だの、ことあるごとに絡んできて大層うっとおしかった。
初めて出会った頃からそうだったが、それでも彼が発する言葉は単なる誘いであって、 常に僕の意思を確認する疑問文だったはずだ。
だが、今日のは違う。
今夜はどうする?というのは、僕が彼とともに行動するのが前提になった上で、 二人で何をするかを尋ねているのである。
彼は、僕が自分と一緒に行動することを当然のことと捉えているのであり、 僕がこのまま一人で帰宅する可能性について全く考慮していないということだ。
このオジサンに記憶力というものはないのか。
今まで一度だって、僕が誘いに乗ったことなどないのに、 どうして、僕が付き合うに決まってると思い込めるのだろう。
まったく、オジサンの思考回路は理解できない。
「僕は帰宅します」
そう答えると、目の前の男は「あ、そう」と頷いた。
「んじゃ今夜はバニーの家な。焼酎ってまだあったっけ?」
・・・は?
何を言っているんだ、この人は?
呆気にとられる僕の前で、おじさんの独り言はまだ続いていた。
「メシどうしよう?お前んちの近くのデリカで買ってく? それとも、家でデリバリーでもとるか・・・今日は取材が立て込んでて疲れたもんなー」
「ちょっと待ってください!」
「なに?デリカのがよかった?」
「違います!そうじゃなくって・・・あなた、僕の家に来るつもりですか!?」
「だってお前、家に帰りたいんだろ」
「そうですよ。帰りますよ」
「じゃ、俺がお前んち行くしかないじゃん」
「だから!それがおかしんです!!」
僕が声を荒げると、目の前の男はぽかんとした。その表情はちょっと頭の弱い子みたいで、 いらっとさせられる。
「どうしてあなたが僕にくっついて家まで来る必要があるんです!!」
僕に怒鳴られたおじさんは、豆鉄砲くらった鳩のようにびっくりしている。
びっくりするのは、こっちですよ!!
なんなんです、そのリアクションは!?
「え?バニー、お前、一人で寝れんの?俺いなくて大丈夫なの?」
「はあ?いい大人に向かって何を言っているんです?」
「だって、お前の方から泣きついてきたんだろーが。ヤらないと眠れないって」
「やる?なにを?」
「セックス」
「はぁあ!?セックスゥ!?」
「ちょ、バカ、声でかい!!」
おじさんが慌てて僕の口を両手で抑え込んできた。
「誰かに聞かれたらどうすんだよ。バレたら恥かしい思いするの、お前だろーが!」
は?何が?
この人の言っていることは全く分からない!
僕はそのままおじさんに引きずられ、気づくと、自分の車に押し込まれていた。
「・・・ったく、こっちがヒヤヒヤするわ。お前ってやつはどんだけ捨て身なんだよ。 自分のこと、大事にしなきゃだめだろ」
おじさんは当然のように助手席に乗り込んでくる。
「・・・ま、お前が悪夢にうなされずにすむようになったんなら、それに越したことはねえけどさ。
お前だって、好きであんな無茶やってたわけじゃないってことは分かってるし。
本当に、一人でも、ちゃんと眠れるようになったんなら、祝杯でもあげないとな」
この人はそう言って、笑いかけてきた。
「イヤなことはもう忘れろよ」
「嫌なこと・・・?」
「前に言ってた・・・子供の頃、男にレイプされたってアレ・・・」
なに言い出すんだ、この人は!?
「そんなこと、されてませんよっ!!」
「へ?」
「そんなこと、されるわけないでしょうがっ!!」
「え?だって、お前が言ったんじゃ・・・」
「あなた、耳が腐ってるんじゃないですかっ!!」
「え?なに?もしかして、俺のこと、かついだの?
じゃ、あれ、お前の両親が殺されたってのもウソ?」
「どうしてそのことを!?」
「そっちは本当なんだ」
そう言って、この人は一瞬悲しそうな顔をしたけれども、すぐにいつもの明るい表情に戻って、
「でも、レイプの話はウソだったんだな。なんだー、すっかり騙されたぜ! けど、ウソでよかった。お前が辛い目にあってなくて」
ぐりぐりと子供にするみたいに、僕の頭を撫でまわしてきた。
馴れ馴れしい!
僕はその手を振り払い、この男を睨みつけた。
「・・・どうして、僕の両親のことを知っているんです?」
「お前が言ったんじゃねえか」
「僕が?」
「ちっちゃい時のお前、可愛いかったのなー。今じゃすっかり生意気になっちゃって。 でも、おふくろさん、美人だよな。お前、母親似だったんだなー」
「写真まで!?いつの間に・・・」
「お前の家に飾ってあるじゃん」
僕の家!?
この人を入れたことなどないはずだ。
この人だけじゃない、他人を入れたことなんてないのに。
「ほら、こないだ飲んだ時の写真」
おじさんは自分の携帯を差し出して、僕にディスプレイを見せてきた。
おじさんと僕が並んでいる。
背景は、確かに、僕の家だ。
「バニー、お前もなんか撮ってたじゃん?」
そう促されて、僕は自分の携帯を取り出し、ぎょっとした。
なんだ、この写真は・・・!?
どうして、こんなものが僕の携帯電話の中にあるんだ・・・?

僕の携帯電話の写真フォルダは、おじさんの間抜けな寝顔でいっぱいに埋め尽くされていた。
尋常な量じゃない。
またオジサンのイタズラか?
とも一瞬思ったが、寝ているところを撮ったものばかりなのだから、当人の仕業ではないだろう。
だとしたら・・・僕?
僕の携帯なんだから、それが当然なのだが・・・
そんな記憶は一切ない。
そもそも、おじさんの寝顔なんて撮って何が楽しいのか。
保存する価値などあるのか。
全く意味が分からない。
茫然としたまま、おじさんの寝顔のありとあらゆるバリエーションをたどって、ようやく最後にたどり着いた。
それは、自分で自分を撮影したもののようだった。
かすかに見える背景から、僕の家だと分かる。
ディスプレイの中の僕は、自分でもびっくりするほど、幸せそうな顔で笑ってた。
ソファに座ったまま、酔って寝てしまったらしいオジサンの頭をその肩で支えながら。
その瞬間、世界が反転した。

強固な壁を作って、他人を遠ざけ、自分の世界だけに生きてきた。
誰にも僕の苦しみは分からない。
そう思い込んで。
いや、そう思おうとして。
だって、助けてほしい、なんて言えるわけない。
そんなこと言ったら、迷惑がられる。人は僕から去っていく。
僕の過去と生きる目的を知ったとたん、 誰もが――今まで僕に取り入ろうとしていた人たちだって――距離を置くようになる。
それはそうだ。誰だって、厄介ごとになど巻き込まれたくない。
僕だって、逆の立場だったらそうする。
何の得もないこともないことなんて、誰もするはずがない。
分かってる。
だから――
『助けて』
そう言えたなら、どんなに楽になれるだろう。
そう思う弱い心を見ないようにして、僕は一人で生きてきた。
一人で生きていけると信じていた。
でも、ある日出会ったオジサンは、そんな狭い僕の世界をぶっ壊してくれた。
このオジサンは、ただの仕事の同僚であるだけの僕に、ことあるごとにお節介を焼いてきた。
まあ、それだけの人ならば、さほど珍しくはない。
驚いたのは、僕の抱える厄介ごとを知ってもなお、離れようとしなかったことだ。
むしろ、前以上に近づいてきた。
こんな人間は初めてだ。
僕はすっかりペースを乱されて、困惑し、どうしていいか分からずに、彼に当たったりもした。
でもこのオジサンときたら、僕がどんなに邪険に扱っても、のらりくらりとかわして、 当然のような顔をして僕の隣にい続けた。
そうして、素直に助けを求められない僕の手をつかんで、 時には父のように叱り、友のように笑いあい、恋人のように甘えさせてくれた。
僕は知っている。
そんな記憶はないけれど、僕は確かに知っている。
どうしてだろう?
僕の知る、この景色は、なに?
「大丈夫かよ、バニー?」
目を開けたら、隣でおじさんがハンドルを握っていた。
僕の車を走らせながら、心配そうにちらちらとこちらに視線を向けてくる。
「・・・どうしてあなたが僕の車を運転してるんです」
僕は助手席から、隣の男を睨んだ。
「お前が急に寝ちまうから。心配すんな。ちゃんとお前んちまで送ってやるから」
そんなことは頼んでない。
このおじさんに借りを作るなんて甚だ不本意だ。
「大丈夫です。その辺の路肩にでも止めてください。自分で運転します」
リクライニングシートから体を起こそうとすると、
「まあまあ、ゆっくり休めって」
とたんに、肩を上から押し付けられた。
「寝られる時にゆっくり寝とけよ。お前が怖い夢を見ないように、俺が見張っててやるからさ」
「見張るって・・・」
呆れて声を出すと、ぽんぽんと軽く頬を叩かれた。
「お前のほっぺたは相変わらず気持ちいいな」
隣の男が能天気な顔で笑う。
相変わらずってどういうことです?
あなたに、頬を触らせた覚えなんてありませんよ。
そう思ったけれど、彼の手のひらが大きくて暖かくて、気持ちよかったので、 なんとなく言いそびれてしまった。
「着いたら起こしてやるから。それまで、ゆっくり眠りな、バニー」
大きな手のひらが、僕の頭を撫でていった。
そのぬくもりも、僕は知っていた。
このおじさんと、こんな風に親しく接したことはない。
そんな記憶はないのに。
どうしてこんなに懐かしいんだろう。
どうして、こんな幸せな気持ちになるんだろう。
僕は、目を閉じた。
過去の記憶でないならば・・・
未来の記憶であるといい。
そっと願いながら。

End

(蛇足)
たとえ記憶を書き換えられても、どんなルートを進んでも、たどり着く先はただひとつ。



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