一日の終わりに二人で一杯やるのは、ほとんど日課になっていた。
今夜は虎徹さんの家に招かれて、実家から持ち出してきたという日本酒をごちそうになった。
さすが酒屋の息子だけあって、虎徹さんはおいしい日本酒をたくさん知っている。
毎回違う香りと風味で、僕をもてなしてくれる。
そのバラエティの豊富さには驚かされるばかりだ。
日本酒というものを、僕はこの人に会うまで知らなかったけれど、ワインに負けず劣らず奥の深いお酒らしい。
今夜は芋焼酎なるものを出してくれた。芋からお酒ができるなんて、びっくりだ。
フライドポテトの味を思い出しながら飲んでみたところ、まったく予想外の味だったので、
「ポテトの味がしません」と言ったら、虎徹さんは腹をかかえて笑った。
そんなに笑うのは、失礼だと思う。
僕がむっとしているのに気付いたらしく、「悪い悪い」と笑いを堪えきれないまま、
ちっとも悪そうに思っていない顔で虎徹さんは言ってきた。
「いやー、バニーの反応が新鮮でいいなーと思って」
虎徹さんは手酌で芋焼酎を注ぎながら、まだ笑っている。
「いちご牛乳がいちご味の牛乳なんだから、芋焼酎はポテト味の焼酎であるべきだよなー。
バニーちゃんは正しい!」
「・・・バカにしてますね?」
「とんでもない!俺はバニーを尊敬したぞ!俺は常識にとらわれていた!
芋焼酎なのにポテトの味がしないのはおかしい!」
「やっぱりバカにしてるでしょう」
「してねえって!お前の柔軟な発想に感動してんの」
「・・・分かりました。酔ってるんですね」
「んー、そうかも?」
虎徹さんはソファにダイブした。
完全に酔っぱらいの所業だ。
ソファに突っ伏して、幸せそうに目を閉じた虎徹さんの肩に手を置いた。
「起きてください。寝るならベッドで。風邪ひきますよ」
軽くゆすると、「だーいじょーぶバニーちゃんは優しいな」等と言って僕の頭を撫でてくる。
いい加減子供扱いはやめてほしい。
やんわりはらうと、その腕はそのまま力なく落ちた。
眠ってしまったらしい。
部屋のライトを反射して、プラチナのきらめきが僕の目を射抜いた。
だらりと落ちた左手の指輪が眩しい。
肉体が滅んで後もなお、誰よりこの人の近くにいられる彼女がうらやましい。
こんなにそばにいても、僕は彼女ほど近くには行けないのだ。
だからせめて。このくらい、いいですよね?
寝息をたてているその口唇にくちづけた。
とたん、琥珀色の瞳が開かれた。
「バニー…?」
驚いている。当然の反応だ。ただの同僚だと思っていた男にキスされたんだから。
うわああああああ!!
なんでこんな時に限って目を覚ますんだ!さっき散々揺すったとき起きなかったくせに!
僕は咄嗟に立ち上がった。
「待て!駄目だ、天井破るのだけは!」
虎徹さんの必死の叫びが僕の理性を一瞬だけ蘇らせた。
僕は能力を発動させつつも、ちゃんと手でドアを開け玄関から駆け出した。
――どうしよう。
もう虎徹さんの前に出られない。
あんなことをしてしまって。恥ずかしい。このまま消えてしまいたい。
この世界からいなくなりたい。
・・・いっそこの街から出て行くか?
いや、急にいなくなったりしたりしたら、騒ぎになる。会社に迷惑がかかる。
それに何より仕事をほうり出すような無責任なことはしたくない。
だが、仕事をしようとしたら、もれなく虎徹さんがついてくるのだ。
あの人は優しいから、僕を傷つけまいと気を使うだろう。だからこそ、会えない。
僕をバニーと呼ぶこの世でただひとりの人。
「バニーちゃん」
声が聞こえてぎょっとして振り返ると、見知らぬ子供がショーウインドーを指をさしている。
勢いにまかせて虎徹さんの家を飛び出して、街中のペットショップの前にいるのに気付いた。
ガラスごしのケージにかわいらしい兎がいた。
・・・兎か。
僕が本当のバニーだったらよかったのに。
僕が人間じゃなく兎だったなら、あなたに撫でられるだけで満足できるのに。
「おーい、誰か今日バニー見てない?」
トレーニングルームに虎徹さんの声が響いた。
「バーナビー?いや、ここには来てねえが」
ベンチプレスを持ち上げていたロックバイソンが答えると、隣にいたファイヤーエンブレムが呆れた顔をした。
「なによ、アンタたち、またケンカしたの?」
「ケンカなんてしてねーよ」
「したんでしょ」
「してねーって」
二人の不毛な言い合いに、ドラゴンキッドの無邪気な声が割って入った。
「バニーちゃんなら、ここにいるよ」
「え?」
大人たちが振り返ると、ドラゴンキッドが満面の笑みを浮かべて、
「ほら!」
と抱き上げてみせた。
それを見て、虎徹さんは目をしばたいた。
「・・・だっ!本物かよ」
「どうしてこんな所に兎がいるんだ?」
ロックバイソンも目を丸くしている。
「知らない。今見つけた」
「誰かが連れてきたのかしら?かわいいわねー」
たちまち相好を崩したファイヤーエンブレムが兎に指を伸ばすと、ぴょんと逃げた。
「あ、ウサちゃん、危ないわよ!タイガー、捕まえて!」
「よしきた」
難なく捕まえた虎徹さんは、おもむろに兎を高く抱き上げた。
「これは…オスか?メスか?」
両後足の間を凝視してくる。
ちょっとどこ見てるんですか!止めて下さい!
「おとなしくしろよ、見えねーだろ」
見るなって言ってるんですよ!
「痛っ!噛んだよ、こいつ。可愛い顔して凶暴だなあ」
「アンタが嫌がることするからよ」
ファイヤーエンブレムが呆れたように言う。
「ただチンチンあるか確認しようとしただけだろー」
「兎だって恥ずかしいのよ」
「兎がそんなこと思うかよ」
あなたが虎になっても僕は気付いたのに、あなたときたら…なんて人だ!信じていたのに!
「あれ?この首輪・・・バーナビーさんのPDAじゃ?」
ドラゴンキッドが声を上げた。
「本当だ」
やっと気づいてくれたらしい。
一同がじっと見つめてくる。
「この兎、バーナビー…?」
「まさか」
一笑に付す虎徹に、ロックバイソンが言う。
「虎徹、お前だってこないだ虎になっただろうが」
「あれはたまたまそういうネクストに遭遇しちまったから・・・」
「バーナビーだって同じ目に合わないとは言えないだろ」
「いや、でもなあ・・・」
虎徹さんは半信半疑という表情で、僕に目を向けた。
相棒の面倒は相棒がみろ、ということで、僕は虎徹さんに引き取られることになった。
出動要請もなく、夕方にはオフになったので、虎徹さんに抱っこされて一緒に帰宅する。
今日は朝から、虎徹さん、なんだか元気がなかった。
また電話で娘さんに叱られたんでしょうか。全くしょうがない人ですね。
テレビを見ながら晩酌している虎徹さんの膝に、丸い体をすりすりと摺り寄せてみる。
「おっ!やっと慣れてきたか!かっわいーなー」
あ。笑った。虎徹さんが笑ってくれた。
今日初めて見る屈託のない笑顔だ。
誰かを慰めるにはこの兎の姿はもってこいだ。アニマルセラピーという療法もあるほどだ。下手に人間と話すより、物言わぬ動物に寄り添ってもらって愛らしい仕草を眺めた方がずっと心も休まるだろう。
今の僕はバーナビーじゃない。バニーだ!
鏡の前でチェックして、これが究極と確信に至ったた絶妙な角度に首を傾け、
つぶらな瞳でじっと虎徹さんを見上げた。
さあ、どうです虎徹さん? 可愛いでしょう?
触ってもいいんですよ? 撫で撫でしていいんですよ? 抱き上げて頬ずりしたって許してあげます。
さあ、自分の心に素直になって!
「どうした?腹減ったか。ちょっと待ってろ」
虎徹さんは僕を床に下ろすと、キッチンに行ってしまった。
え?ちょっと虎徹さん・・・
「・・・なあ、お前、本当にバニーなのか?ただの兎じゃなくて?」
差し出されたレタスをはむはむとかじっていると、虎徹さんが呟いた。
ええ、そうですよ。僕はバニーです。あなたの相棒です。
答える代りに、ふさふさの毛に覆われた頬を虎徹さんの腕に摺り寄せる。
虎徹さんは頭を撫でてくれた。
「なんで兎になっちゃったんだよ?昨日の芋焼酎で笑ったの、怒ってるのか?
いい加減、人間に戻ってくれよ」
人間になんて戻りませんよ。
ほら、今の僕、可愛いでしょう?
僕は自ら望んで兎になったんです。
あなたに撫でられるだけで満足できる兎に。
これなら、あなたの心を慰めてあげることができます。
ずっと一緒にいられます。
僕の願いは叶えられたのです。
なのに、あなたときたら、どうしてそんな淋しそうな顔するんです。
ねえ、笑って?
コンコン、とノックされたので、ホテルのスタッフがチェックアウトの催促に来たのかと思い、扉を開けた。
とたん、
「バニー!!無事でよかった!!」
熱い抱擁で迎えられた。
僕をバニーと呼ぶ人間はこの世に一人だけ。
どうして?
「やっぱり人間は兎にならねえよな」
虎徹さんは僕を見て、琥珀色の目を細めた。
「あなたは虎になりましたけどね」
僕の返事に、虎徹さんは子供みたいに口をへの字にしたが、すぐに真面目な顔になった。
「バニー、これは何のつもりだよ?」
「あなたこそ・・・どうしてここが?」
「ずっとお前を探してたんだぞ。苦労したわー」
「あの兎が僕ではないと、どうして分かったんです?」
「お前と連絡取れなくなってから、心配して、お前の部屋に行ったんだよ。
アポロンメディアの名前で鍵開けてもらうのに、ベンさんにも来てもらってさ。
そしたら、お前の部屋見てベンさんが、綺麗に片づけられてておかしいって言い出して。
バニーんちがモデルルームみたいに生活感ないのはいつものことだから、
俺はいつもと変わらないだろって思ったんだけど、
よく見たら、冷蔵庫の中は空っぽだし、ごみ箱にも紙屑ひとつないし、さすがにこれはないよなーって・・・
で、ベンさんの昔のタクシー仲間に聞いてもらったら、お前に似た奴をこのホテルまで乗せてったって運ちゃんがいてさ。
ビンゴ!ってわけだ」
「・・・余計なことを」
「なに?」
「どうして、あの兎を僕だと信じてくれなかったんです。
そうすれば、騒ぎにもならず、僕は黙ってこの町から姿を消せたのに・・・」
「バニー?」
「駄目です、来ないで!」
「なんだよ?その恰好、どっか旅行でもいくところだったのか?」
「ええ、そうです!僕はこの街からいなくなります!もうここにはいられない…!」
「なんで?」
「僕、あなたにあんなこと・・・気持ち悪いでしょう」
「あんなこと?」
いえ、あのその、えーと。
「チューのこと?」
よくそんなあっけらかんとした顔で言えますね!?
・・・まあ、自分じゃ絶対口にできないので、言ってもらえて助かるけど・・・
「そ、そうですよ!だって僕は男だし、それにあなたは今でも奥さんを愛してるのに・・・
ごめんなさい。おかしなまねをして。僕はもうあなたとはいられない」
「なんで?俺もバニーのこと好きだぞ?」
「虎徹さんの好きと僕の好きは違います」
「同じだよ」
「違います。あなたは優しい人ですね。僕を傷つけまいとしてくれてるんでしょう」
「そんなんじゃねえって」
「いいんです、もう何も言わないで。分かってます」
「おいおい、人の話聞けって」
「話す必要なんてありません」
「まったく・・・どうしたら、信じてくれんだ?」
「だからもう何も言わないでいいですって――」
「だっ!これならどうだ!俺の話を聞け!」
虎徹さんはやおら左手の指輪を外すと、床に投げ捨てた。
ええっ!?虎徹さん、何てことを!!
僕は慌てて指輪を拾い上げようと床に膝をついたが、虎徹さんに引きずりあげられた。
「いいんだ。お前は今生きているから」
「は?」
「あの時ああしてやれば良かった。こう言ってやればよかった・・・後悔することはたくさんある。
でも、どんなに後悔しても死んだ人間にはもう何もしてやれない。
生きていれば、生きてさえいれば、なんでもしてやれる。
俺はもう失ってから後悔するのは嫌なんだ。二度とあんな思いはしたくない。
お前を失うくらいなら、これは外す。きっと友恵も分かってくれる」
虎徹さんの声がやけに真剣だったのは分かったけれど、その表情を見る余裕なんてなかった。
ホテルのカーペットに落ちたプラチナリングが転がって、
どこかに行ってしまったりしないかと、生きた心地がしなくて、床から目が離せなかったのだ。
僕は虎徹さんの腕を振り払うと、床に這いつくばるようにして、プラチナリングを両手で確保した。
夢中だった。
「こんなことはしないでください」
床に膝をついたまま、僕は指輪を虎徹さんに差し出した。
虎徹さんは僕の頭に軽く手を置いて言った。
「一緒に戻ってくれるよな?」
「はい。だから、この指輪、ちゃんとはめて下さい」
「よかった。みんな待ってる」
指輪が虎徹さんの左手の定位置に戻されたのを確認して、僕はようやくほっとした。
「さっき言ったこと、本気だからな?」
ふいに虎徹さんが僕の髪の毛をぐりぐりと撫でてきた。
せっかくセットしたヘアスタイルがぐちゃぐちゃになってしまうじゃないか。
僕は兎じゃないんだから、止めてほしい。
むっとしたところで、ようやく僕の意識は目の前の彼に向けられた。
さっき言ったこと・・・と言われても、気が動転していて正直、何を言われたのか覚えてない。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。
「ありがとうございます。その言葉だけでうれしいです。
あなたに軽蔑されてないと分かっただけで。これからもあなたの相棒でいられるだけで」
僕の返事を聞いて、虎徹さんはぽりぽりと顎をかいた。
「・・・バニーはさ、俺にチューしたことそんな気にしてたの?
俺も時々してたよ。お前の寝顔かわいんだもん。気付いてなかった?」
「はあ!?」
ちょっと虎徹さん、何をして――でも、僕はそれ以上、言うことができなかった。
僕の口は虎徹さんの口にふさがれてしまったからだ。
「なっなっなっどっどどっどっこっこここっ」
なぜ。どうして。こんなこと。
言葉にならない。真っ赤になった僕を見て、
「バニーちゃんはほんと、かわいいなあ」
と虎徹さんは笑った。
To be continued...
(蛇足)
バニーがもふもふ兎になるのを期待していた方には、スミマセン・・・
獣化はタイガーでやってるんで、ちょっと違うオチにしたかったんです
今回のバニーはいつにも増して、豆腐メンタル。もはや、おぼろ豆腐。
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