初☆体☆験


いい匂いがする。
温かいスープの匂い。
台所に人の気配がする。
ああ、友恵か。
おれと楓のために、食事の支度をしてくれているのだ。
『娘の看病して、風邪をもらうなんてしょうがないお父さんね』
そんなことを言われても。まさか、子供の風邪がうつるなんて思わなかった。
『おとなしく寝てるのよ』
白い指が額に触れる。
冷たくて気持ちがいい。
「・・・友恵・・・」
「トモエ?新しい呼び方ですか?もはや、僕の名前と一文字もかぶってませんけど」
目の前にいたのは、エメラルドグリーンの瞳の青年だった。
「バニー」
「目さめました?ウイルスが脳にまで行ってしまったのかと思いましたよ。
熱は下がったみたいですね」
いつもと変わらないクールな表情。
「なんでお前が?まだいたのか?」
「ご挨拶ですね。 重病人を一人置き去りにして帰るなんて、そんなことできるわけないでしょう。
どれほど僕のこと、人でなしだと思ってるんです?」
ツンと顎をそびやかし、シルバーフレーム越しに見下ろしてくる。
相手が病人だろうが、まったくいつもと変わりない。
「・・・お前、本当におれのこと病人だと思っていたわるつもりある?」
虎徹が言うと、目の前の青年は心外だという顔をして、
「お腹がすいているかと思って食事まで作ってあげた人間に言うセリフですか?」
「お前が?」
「さっきテレビでやってた料理番組の言う通りに作ったので、食べられる程度にはなっていると思いますが。
まあ、料理なんてしない僕が作ったものなので、強くは勧めませんけど・・・
どうします?」
食べてほしいなら、食べてほしいと言えばいいのに。
まったく素直じゃないんだから。
「食うよ。腹減ってんだ。どんなものでも美味く食えるさ」
虎徹が答えると、年下の相棒はそそくさと立ち上がって、台所に姿を消した。

「・・・うまい」
空腹だから、というわけではなく、年下の相棒の作った野菜のトマトソース煮込み―― バニー曰く、ラタトュユとか言うフランスの田舎料理らしい――は、普通に美味かった。
虎徹としては、からかう隙がなくて残念なくらいだ。
「あなたがチャーハン好きなのは知ってますけど、風邪の時には野菜を食べないと」
虎徹の感想に対するバーナビーの返事は、そっけなかった。
でも、それは口調だけだと虎徹には分かる。
ポーカーフェイスを気取っているつもりだろうが、バレバレだ。
エメラルドグリーンの瞳がほっとしたように、穏やかな光をたたえている。
スープをよそう指先に、絆創膏が巻かれていたのにも気付いてる。
虎徹が高熱でうなされている間、バニーはバニーで慣れない炊事に悪戦苦闘していたようだ。
普段、悪人たちを相手に華麗な立ち回りを見せている金髪碧眼の美青年が、 小さなナスやピーマン相手に苦戦している姿を想像すると笑える。
その姿を見ることができなかったのは、とても残念だ。
満腹になった虎徹が部屋を見回すと、なんだかいつもと様子が違う。
「お前、片付けてくれたの?」
「することがなかったもので」
「手際いいなー。いい嫁さんになれるぜ」
「男は嫁にはなれません。
やっぱり、細菌が脳まで侵食してるみたいですね」
相変わらず可愛くない。
それでも、
「熱は下がったようですけど、しばらくはおとなしく寝ていた方がいいですよ」
と心配してくる程度の可愛げはあるようだ。
「んー、でも汗びっしょりで気持ち悪いし、着替えないと。
脱いだやつは、すぐ洗濯しときたいし・・・」
「僕がやりますよ。洗濯機に放り込むだけですし。脱いだもの、ください」
「おー助かる」
虎徹は毛布の中から、脱いだ服を次々と相棒に放り投げた。
シャツにスラックスに・・・ そうして、最後のものも。
「ちょっと!パンツまで僕に洗わせる気ですか!?」
目の前の青年は『信じられない』と言うように目をつり上げている。
これだから、バニーをからかうのは止められない。
「いーじゃん。洗濯機に突っ込むだけなんだから。
お前のも一緒に洗えば?乾燥機使えばすぐ乾く。
お前も昨日から着替えてねえだろ。シャワーでも浴びて待ってれば?」
年下の相棒は、ものすごくイヤそうな顔をしていたが、
「・・・一緒には洗いませんからね」

「・・・ああ、疲れた」
自宅に着くなり、バーナビーはカウチにへたりこんだ。
結局夕食まで付き合って、ようやく今戻ってきたところだ。
この部屋に戻るのは、実に二日ぶりになってしまった。
こんなに家を空けたのは、仕事以外では初めてのことだ。
仕事柄、体は鍛えているので、体力には自信があるが、さすがに今日はくたくただ。
いくら仕事のパートナーとは言え、まさか、看病まですることになるとは思わなかった。
こんなことなら、「帰れ」と言われた時に素直に帰っていればよかった。
なまじ付き合ってあげたばかりに、調子に乗らせたような気がする。
あのオジサンときたら、やれ「風呂わかせ」だの「りんご食いたい」だの、ここぞとばかりにワガママ言ってきて。
仕方なく、洗ったりんごと包丁を、台所から持って来てベッドにいる虎徹に渡してやると、
「皮むいて」
「そのくらい自分でやってください」
「えー。
おれなんか、娘が風邪ひいた時には、りんご剥いて出してやってたぞ。
うさぎりんごにしてやったりしてさ。
うさぎりんご、知ってる?
赤い皮のところを、兎の耳みたいな形にして残すの。
ま、お前にはできねーか。
野菜切るくらいで指切ってるようじゃなあ」
「・・・そのくらい、できます」
バーナビーは、ムキになって、包丁とりんごを手に取った。
今思うと、負けず嫌いの性格を読まれて、うまいこと利用されたような・・・
その後も、りんごの食べ後を捨てようとしたら、ゴミ箱がいっぱいで。
「ちゃんとゴミ出してます?」
「あー、そういえば、今日ゴミの日だったわ。
まいっかー。来週出せば。先週もそれで出しそびれたんだけど」
「ちょっと、いつからゴミ捨ててないんです!?」
「大丈夫だって。来週で」
「今日捨てます!!」
ゴミ捨て場までダッシュしたり。
なんで僕がこんなこと・・・
と思いながらも、ムキになってしまった。
これじゃハウスキーパーだ。
ああいう人にこそ、伴侶が必要なのだと思う。
なしくずしに夕食まで付き合ってしまったら、虎徹が「もう一泊してくか?」と言ってきた。
「それとも、いっそのこと、ここに住んじゃう?」
「なに名案みたいな顔してるんですか」
バーナビーは冷たく言い捨てて帰ってきた。
久しぶりの自宅は静かでいい。
やっと、ゆっくりできる。
目を閉じて、静寂を楽しむ。
・・・乾かした洗濯物、ちゃんと引き出しの中にしまってくれただろうか。
せっかく片付けた台所、またメチャメチャにされてないだろうか。
燃えるゴミと燃えないゴミの分別はちゃんと・・・
生ゴミはちゃんとフタのついた場所に入れておかないと臭いが・・・
なにを考えているんだろう、僕は。
何となく落ち着かない。
この部屋が静かすぎるせいだ。
こんなに広くて静かだなんて、今まで知らなかった。
窓から見える景色は美しく、そして冷たい。
なんだろう?
自分が一人だと思っていたころは知らなかった。こんな気持ち。

つづく

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