Go on and Go on


仏壇の前で、いまだに鼻をぐずらせている初老の男に、虎徹はティッシュを差し出した。
「・・・すみません」
彼は眼鏡を外して、目のふちをそっと拭った。
「相変わらず泣き虫だなー、バニーちゃんは」
虎徹がからかうと、彼はエメラルドグリーンの瞳できっと睨んできた。
「僕はバニーじゃなくて、バーナビーです。まったく、何十年同じことを言わせるんですか」
このセリフを言われるのも、もう何度目になるだろう?見当がつかない。
振り返ってみれば、二人が出会ってからもう四半世紀が過ぎようとしている。
初めて出会った時にはまだほんの若造だった彼も、すっかり落ち着いたいい大人だ。
それでも――
金髪がヒヨコのうぶ毛のようなルーキーじゃなくなっても。
白髪が増え、紅顔にシワが刻まれても、俺にとってバニーはバニーであって、それ以外の何者でもないのだ。
だから、
「ボクはバニーじゃありませえん、バーナビーですう」
と、これまた二十数年間繰り返しているリアクションを虎徹がしてやると、バーナビーは露骨に呆れた表情を見せた。
「そんな言い方はしていません。・・・まったく、あなたも変わらないですね。 そろそろ、年齢相応の落ち着きを身に着けたらいかがです」
「いつまでも若々しいと言ってくれ」
「若々しいのと変わらないのは違いますよ」
バーナビーは眼鏡をかけた顔を虎徹に向けた。
「年をとって肉体が衰えていくのは自然なことです。身体能力は若者にはかなわない。
でも、年齢を重ねて経験を積めば、知恵と深い見識が養われるもの。人は年をとっても成長し続けていく・・・
たとえヒーローとして現役ではなくなっても、若いヒーローたちの手本であらねばならない。
それがかつてヒーローだった僕たちの務めなんですからね。
虎徹さんもいいかげん、成長してください」
「・・・お前もちっとも変わらねえよ。その上から目線のお説教」
虎徹がつぶやいたのを、バーナビーは聞き逃さなかった。
「何か言いました?」
つん、と顎をそびやかすバーナビーに、虎徹は「いいや、何でも」と首を振った。
彼の背筋はびしっと伸びていて、あいかわらず美しかった。シルエットだけ見れば、若い頃と変わらない。
畳の上で正座する姿も、今ではもうすっかり板についている。
初めて虎徹の実家にやってきて、正座スタイルを見た時には、 そんな座り方をして足を痛めませんか?とひどく困惑した顔をしていたのに。
これがうちの田舎ではフォーマルな姿勢なんだ、と教えると、バーナビーも見よう見まねで正座をした。
お前はいいよ、正座なんかしたことないだろ、楽にしてろよ、と虎徹が言っても、彼は頑なに首を振って、 郷に入れば郷に従えですから、と生真面目な顔で答えてきたものだ。
普段は生意気なくせに、時々ひどく健気なことを言う。
ほほえましく思った虎徹は彼の意思を尊重し、台所でチャーハンを作って部屋に戻ってきたら、バーナビーは畳の上で悶絶していた。
自分の限界が分からなかったようだ。
真面目で健気で一途なのに、こいつときたら、どこか残念なんだから。
もっとも、正座スタイルにも慣れた最近はもう、そんな醜態は見せないが。
「バニーちゃんは真面目だねえ。さすが、ヒーローアカデミーの先生」
虎徹がからかうように言い添えると、
「あなただって、そうでしょう」
バーナビーがむっとした顔で言い返してきたので、 虎徹はひらひらと手を振った。
「俺は名前だけだもん。お前みたいに、授業とかしてるわけじゃねえし。 入学式とか卒業式とか、何か行事のあるときにたまーに呼ばれて顔見せるだけ。 先生なんてガラじゃねえしなー」
「・・・それでも、ワイルドタイガーの名前は生徒たちにとって、今でも尊敬と憧れの代名詞です」
エメラルドグリーンの瞳がまっすぐに虎徹を見つめてくる。
――本当に変わらねえな。バニーってば、真面目なんだから。
初めて出会った頃から、年上の虎徹に忌憚のない、というか、遠慮のなさすぎる意見(暴言とも言う) を平気でしてきたのは、半分は生来の生真面目さのゆえだと今は知っている。 若く、生真面目すぎた彼は、どうしても言わずにはいられなかったのだと。
もっとも、そういう人間を「世間知らず」と呼ぶのだけど。
「・・・っていうか、俺、まだヒーローなんですけど?」
「そうでしたね」
バーナビーは表情を和らげた。
生涯現役の言葉を貫いて、虎徹はヒーローを引退してはいない。
今でもれっきとした、アポロンメディア所属のヒーローである。
とはいえ、凶悪犯の逮捕や災害救助の現場に駆けつけることはない。
虎徹としてはそうしたいのは山々なのだが、さすがに周囲から止められている。
それはそうだ。よく「若い」と言われるが、その言葉の裏には「年齢にしては」という意味が込められている。
この老体で出ていっても、他人を助けるどころか助けられるのがオチだ。 そのくらいはわきまえている。
今、彼がヒーローとして出動する先は、せいぜいが災害救助の指揮や後方援助か、イベントやセレモニーの場になっている。
昔、思い描いていた姿とは違うが、それでも続けているのは、
『ワイルドタイガーがいてくれるだけで、市民や若いヒーローたちの勇気になる』
そう言ってくれる人が大勢いるからだ。
社交辞令だとは分かっているが、それでも、心にもない言葉ってわけでもないだろう。
それに、若者が一生懸命頑張っている姿を見たら、それはもう応援せずにはいられないじゃないか。
「バニーだって、ヒーローTVに協力してるだろ。スカイハイも未だに空のパトロールは続けてるし。 ブルーローズも歌で市民を元気づけている。
ファイヤーエンブレムも、ドラゴンキッドも、折紙も・・・みんな、それぞれの形でヒーローを続けてる。
あ、ロックバイソンもな。
そう。ヒーローとは、仕事ではない。生き方なのだ!」
俺、今カッコいいこと言ったなー。 今度ヒーローTVに呼ばれたら使おう、このコメント!
虎徹は自分の言葉にご満悦で、「どう?」と相棒に同意を求めてきた。
「・・・あなたって人は本当に変わらないですね」
バーナビーは呆れてため息をつく。
その冷ややかな視線は、初めて出会った頃から変わりない。

――こーんな生意気で生意気でクソ生意気な若造となんか、一緒にやれっこない。
出会ったばかりの頃にはそう思っていたのにな。
気付けば、亡き妻と過ごした時間よりずっと長く共に過ごしている。 このままだと、嫁いでいった娘とよりも長くなりそうだ。
まったく人生という奴は、分からない。
今頃、天国の母も呆れているに違いない。
自分の葬式で、伝説の元キング・オブ・ヒーローが実の息子たちを差し置いて号泣しているなんて・・・誰が予想できただろう。
虎徹は、仏壇の遺影に目をやった。
「親戚のおばちゃんたちも、近所の人もみんなびっくりしてたぜー。あのカッコイイ紳士は誰だ?って。
こんな田舎のばあちゃんの葬式に、なんだってあんな映画俳優みたいな人が来てるんだってさ。
しかも、実の息子たちより泣いてるし。 ま、おかげでヒーローのバーナビーだって気付かれずに済んだからよかったけど」
「・・・すみません」
虎徹の言葉に、バーナビーは恥ずかしそうに長身を縮こまらせた。
「葬儀のお手伝いをしようと思っていたのに・・・何のお役にも立てず・・・」
体調を崩して入院していた母の容体が急変したと連絡を受けて、虎徹はバーナビーに電話をした。
そして、その日の深夜には、バーナビーは虎徹の暮らすオリエンタルタウンに姿を現したのだった。
シュテルンビルトからこの街までにかかる移動時間を考えれば、虎徹の電話を受けてすぐに出てきたに違いない。
荷物らしい荷物も持たず、現役ヒーローだった頃と変わらず人前に出る仕事をしていたのだろう、 高級なスーツをびしっと着こなした姿のまま、病院の一室に飛び込んできた。
そんな彼の思いが通じたのか、安寿はバーナビーが来るのを待っていたかのように、息を引き取った。
医者から「ご臨終です」と告げられた時も、 親戚に知らせるために兄の村正と手分けして電話をかけまくっていた時も、 葬儀の手配をするため業者と話をしていた時も、 バーナビーはずっと虎徹の隣にいた。
臨終に間に合わなかった楓が祖母の亡骸と対面して、こらえきれずに泣きだしたとき、 バーナビーはその隣に寄り添い、涙を拭ってやっていた。
やがて、通夜や葬式の段取りも進んきて、親戚や友人・知人がぼつぼつ集まってくると、 虎徹も楓もその相手をするのに忙しく、すっかり現実に戻ってしまったが、 バーナビーだけは安寿の遺影の前でずっと泣いていた。
通夜の席次を確認しようと、虎徹がバーナビーを呼ぶと、彼は通夜には出られないと固辞した。
「だって僕は親戚でもないですし・・・それに、こんな恰好じゃあ」
着替える時間も惜しんで、シュテルンビルトからこの街にやってきたバーナビーのスーツは、 彼によく似合ってはいたが、ド派手で、確かにしめやかな葬儀にはふさわしくない。
喪服のないバーナビーに、虎徹と村正は家中探してなんとか黒いスーツを見つけ出し、着替えさせた。
背の高い彼にはズボンの裾も袖の長さも足りなくて、 やたらと端正なたたずまいの初老の紳士が、サイズの合わないスーツを着ている姿は浮きまくっていて、 しかも、虎徹の隣で式の間中泣きっぱなしだったから、目立たないはずがない。
それでも、彼が心から亡き人の死を悲しんでいるのは、見ている誰にも伝わったから、 そのうちあちこちからすすり泣きの声が聞こえるようになり、誰もが暖かな気持ちで故人の旅立ちを見送った。
バーナビーが泣いている姿を見ているうちに、なぜだか虎徹の心も落ち着いてきて、 母親の死を静かに受け入れたのだった。それは兄の村正も同じだったようで、「バーナビーくんが 来てくれてよかった」と虎徹にささやいた。

「うちの母ちゃんのために泣いてくれて、ありがとよ」
昔からよくやっていたように、子供にやるように金色の頭を撫でると、バーナビーは再び声を詰まらせた。
「安寿さんにはもっと料理を教えてもらたかったのに・・・」
「母ちゃん、お前のこと気に入ってたもんなー。こんな息子が欲しかったって、お前がうちに来るたんびに言われたぜ。
母ちゃんは幸せだよ。孫の楓のウェディングドレス姿も見れて、ひ孫も抱けて・・・ 最後に、こんなハンサムに泣いてもらってさ。ほんと、大往生だよ」
虎徹が再びティッシュを差し出すと、バーナビーは涙をぬぐって笑顔を見せた。
「いつまでも泣いていたら、安寿さんが安心して旅立てませんね」
「そういうこと。お前、今日泊まってくだろ?ちょっと待ってろ、何か軽く食うもん用意するから」
「あ、それなら僕がやります。虎徹さんは休んでいてください」
「バニーのチャーハン、久しぶりだなー」
「チャーハン以外にもレパートリーありますよ?あなたと違って」
「いいじゃねえか、チャーハン!一皿で腹持ちするし!チャーハン、なめんな!」
「はいはい」
虎徹の心の叫びを、バーナビーは軽く流して台所に向かった。
「うふふっ、二人とも相変わらずねー」
ふすまが開いて、楓が顔を出した。
「お、楓!お前も泊まってくだろ?」
「ううん、今日は帰るわ。落ち着いたら、旦那と子供連れて、また来るから」
「なんだよ、久しぶりに帰ってきたのに。ゆっくりしてけよ」
既に家を出て、今や一児の母になっても、虎徹にとってはいつまでも娘なのだ。
「久しぶりなのは、バーナビーの方でしょ?」
大人になった虎徹の愛娘は、父親に向かって片目をつむってみせた。
「村正おじさんもお店の方に帰っちゃったし・・・今夜は二人っきりよ?
つもる話もあるでしょうし、お邪魔虫はここらで退散します!久しぶりにごゆっくり!
じゃ、またメールする!」
そう言って、娘は手を振って、彼女の帰るべき場所に戻っていった。

「楓ちゃんは帰ったんですね」
バーナビーはできたてのチャーハンをよそって、虎徹の前に出した。
「お前も、楓に会うの久しぶりだったろ?今夜くらい、泊まってけばいいのに」
さっそく虎徹はチャーハンを口に運んだ。
虎徹の前に置かれたグラスにバーナビーがビールを注ぐ。
「楓ちゃんも今はもう家庭の主婦ですからね、そんなに家を空けてられないでしょう。 お子さんも旦那さんも楓ちゃんの帰りを待っているのだから」
「まあ、あの旦那じゃあなあ・・・頼りなさそうだもんな」
「そんなことないですよ。いい青年じゃないですか。あなたによく似てる」
「どこが!あんな、カラ元気ばっかりの調子のいい奴と一緒にすんな」
虎徹が本気で嫌がっているのを見て、バーナビーはくすくすと笑った。
「初めて楓ちゃんから彼を紹介された時、思ったんですよ。 虎徹さんにそっくりだなって。 さすが、楓ちゃんの選んだ人だってね」
バーナビーの言葉に、虎徹は憮然とすると、グラスのビールを呷った。
「そうそう、楓の奴、俺より先にお前に相談してたんだよな、結婚するってこと。 これってどういうことなの。 今まで男手一つで娘を育ててきた父親に対して、あんまりな仕打ちじゃねえか」
「だって虎徹さん、楓ちゃんの話を真面目に聞こうとしないから。 だから、楓ちゃんは僕を使ったんですよ」
「まったく、お前に『楓ちゃんは結婚したい人がいるそうです』と言われるなんて、思いもしなかったぜ。 いろんな意味で衝撃だったわ」
「おかげで、楓ちゃんが本気だってことが分かって、話を聞く気になったでしょう? さすが、自分の父親のことをよく分かってる」
「ったってなあ・・・しかも、相手の男を俺より先にお前に会わせるなんて」
「彼に会わせてほしいと言ったのは、僕です。 相手がどんな人か分からないままでは、楓ちゃんの味方はできませんから。
この目で見て、もし楓ちゃんにふさわしくない男だったら、考え直すよう楓ちゃんを諭すつもりでした。
楓ちゃんは僕にとっても大事な存在ですからね。
もっとも、その心配は杞憂に終わりましたけど」
「お前はあいつのこと、贔屓しすぎ」
「虎徹さん、ずっと言ってますよね。彼が初めて挨拶に来た時から」
「だってよー」
「誰が来たって、あなたは気に入らないんですよ。大事な娘を取っていった男なんだから」
「別にそういうわけじゃあ・・・」
「そうですよ。彼がこの家に来て、みんなで食事をした時、 安寿さんも村正さんも、彼のこと、いい青年だって褒めてたじゃないですか。
なのに虎徹さんだけ依怙地になって」
「そうだよ、あの時、まさにこのテーブルで家族みんなで食事しながらさ、 母ちゃんも兄貴もバニーも、あいつの味方しちゃってさー。あー思い出したら、なんか腹たってきた」
「虎徹さん、ひがんでたんですね?」
「ひがんでねーよ」
「でも、披露宴で新郎からのメッセージ読み上げられた時、泣いてたじゃないですか」
「泣いてねえし」
「思いっきり男泣きしてたじゃないですか。僕、隣で恥ずかしかったんですからね」
「だからって、母ちゃんや兄貴にまで言うことねえだろ」
「いいじゃないですか。幸せはみんなで分かち合わないと」
「つまらないことをいちいち人に言いつけるもんじゃありません」
虎徹が口をへの字にしたのを見て、バーナビーは声を立てずに笑った。
「この家の食卓はいつも賑やかでしたよね」
「ん?」
急な話題の転換に、虎徹が目をしばたく前で、バーナビーは室内をゆっくりと見まわした。
その眼差しは、とても優しかった。
「僕はここで食事をするのが大好きでした。
虎徹さんと楓ちゃんと安寿さんと村正さんと、 みんなでとりとめのない話をしながら、安寿さんの手料理を食べるのが・・・
何の連絡もなしに、僕がふらっとやってきても、いつも誰かが迎えてくれた。
虎徹さんが不在の時でも、安寿さんか楓ちゃんか村正さんか、誰かが・・・
だから、この家で虎徹さんと二人きりになるの、初めてですね」
「そうだな」
娘は結婚して家を出、兄も嫁をもらって、今ではもっぱら店の方。 そうして今、母も天寿を全うし旅立った。
この家に残ったのは、虎徹だけ。

「なあバニー、どうして結婚しなかった?」


つづく



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