Joy to The World


「おいしい」
雑誌の取材と撮影をこなしてから戻ってきたバーナビーは、ビーフストロガノフをぺろりと平らげた。
「サマンサおばさんの作ってくれた料理に似てる・・・」
子供の頃には、こんな風に無邪気な表情で料理を頬ばっていたんだろうな、と想像すると、 思わず虎徹の頬も緩んできて、酒が進む。
「これ、虎徹さんが作ったわけじゃないですよね・・・?」
「実は・・・と言いたいところだが、近所のデリカで買いました。残念ながら」
「へえ、今度そのお店、教えてください。とてもおいしかったです。丁寧に作られていて」
「もちろん!お前が気に入って良かった」
「今日はチャーハンじゃなかったんですね?」
「さすがに毎度おなじパターンじゃなあ・・・と思ってたら、 ちょうど帰り道にこれを見つけてさ。
ま、おれとしちゃ、夜なんて、酒があれば、後はつまみ程度で十分なんだけど」
そう言ったら、年下の相棒に冷ややかな目を向けられた。
「人に『ちゃんとメシ食ってる?』とか言ってくる前に、 ご自分の食生活を見直した方がいいんじゃないですか?
虎徹さん、一日に必要な成人男性の熱量ってご存知です?
筋肉を作るのに、必要な栄養素とか・・・ たんぱく質とビタミン・ミネラルをどんなバランスで摂取したらいいかとか、ちゃんと考えてます?
ヒーローは体が資本なんですからね。
特に僕らのハンドレッドパワーは、元の体力がなければ、いくら百倍になったところで意味ないんですから。
そもそも、虎徹さんは・・・」
――あー、バニーのスイッチ入っちまったな。
年下の相棒の言葉を右から左に聞き流しながら、虎徹は思った。
こいつは酒は弱くはないが、酔うとタチの悪い絡み酒になる。
外ではきちんと自制して、完璧に酒量と体調をコントロールして、 決して乱れた姿など見せないが、虎徹と二人きりになると別だ。
割と簡単にリミッターが外れて、たちまち説教魔と化す。
外面(そとづら)と素に、ギャップがありすぎだ。
――こんな大人になっちゃダメだぞ、坊主。
先ほど出会った男の子を思いだし、心の中でそっと呼びかける。
お前のママは、こいつの外面に騙されているだけなのだ。
確かにこいつは、見た目はイイ。
頭もいいから、その場に応じてソツなく完璧に振る舞える。
パーティーなどでは、スポンサーやファンを大事にし。
ヒーローTVショーの中では、いかにスタイリッシュに映るかを考え。
雑誌やテレビの取材など、ヒーローTV以外でのメディアへの露出も、仕事を選ばず精力的にこなしている。
ヒーロー=カッコイイ、というイメージアップに貢献していることは間違いない。
だからといって、こいつが、テレビで見る姿そのままの、クールで頼りがいのある大人の男 ・・・とでも思ったら、大間違い。
こいつが完璧なのは、あくまでも「お仕事」をしている時だけ。
素のこいつは、手のかかる子供だ。
見栄っ張りで、素直じゃなくて。
ひとりじゃ抱えきれないほど重いものを背負っていながら、 平気なふりをして。
誰かに助けを求めることを知らない。
隣から見ている虎徹にとっては、危なっかしいこと、この上ない。
「虎徹さん、僕の話、聞いてます?」
若者が座った目で睨んできた。
「はいはい、聞いてますよー。
バニーちゃん、そろそろオネムの時間ですねー。
はい、ベッドに入りましょうねー」
「まだ飲んでます!」
「じゃ、おれ、先にシャワー浴びちゃうぞ?」
「どうぞ。僕はまだ飲んでますから」
年下の相棒が重たげな目蓋を精一杯引き上げながら、グラスを呷っている姿を見て微笑むと、 虎徹はシャワーを浴びに部屋を出た。

戻ってくれば、案の定、バーナビーはソファの上で眠り込んでいた。
胎児のように体を丸めている。
酒量が限界に達すると、こいつは糸の切れたマリオネットのように、くったりと寝てしまう。
「だから、ベッドに行けって言ったのに」
虎徹が言っても、ぴくりとも動かない。すっかり寝入っているようだ。
酔いつぶれて所構わず寝てしまうなんて、緊張感のカケラもない。
つまり、こいつにとって、この家が、気を許せる場所として認識されたということだ。
虎徹にとっては、喜ばしいことだ。
出会ったばかりの頃のこいつは、ハリネズミみたいに全身をツンツンに尖らせて、 常に気を張っていた。
それは虎徹に対してだけではなく、世界の全てに対してそうだった。
それじゃあ、疲れるだろう? そんな若者の姿を隣で見ていて、虎徹なんかはいつも思っていた。
もっとも、当時のバーナビーにはそうしなくてはいられない事情があったのであり、 今は、とりあえずとはいえ、両親の一件も落着した。
これからは、少しずつでも心を許せる場所を、この世界の中に増やしていければいい。
「そんな格好で寝てたら、苦しいだろ」
ソファからはみ出している長い足を見下ろして、虎徹は苦笑した。
しょうがない。
寝室まで運ぼうと、弛緩した体を抱き上げたとたん、
「うわああッ!!」
バーナビーが悲鳴を上げて、飛び起きた。
お互いの家を行き来するようになったのは、両親の事件の犯人が分ってからのことだったから、 悲鳴をあげて飛び起きるところを見たのは初めてだ。
正直驚いた。
綺麗なエメラルド色の瞳がぼんやりと宙を彷徨っていたが、だんだんと焦点を結んできた。
「虎徹さん・・・?」
「悪い、驚かせちまったな」
虎徹の申し訳なさそうな顔を見て、バーナビーは肩をすくめた。
「僕の方こそ・・・」
「まだ昔の夢を見るのか?」
虎徹の問いに、バーナビーは首を横に振った。
「いえ・・・
以前みたいに、両親が殺された当時の夢を見てうなされることはなくなったんですけど・・・
ただ・・・どうして思い出せなかったんだろうって・・・
どうして二十年もかかってしまったんだろうって・・・
僕は見ていたのに・・・思い出すきっかけは今までだってあったはずなのに・・・
どうして・・・もっと早く思い出していれば・・・」
その問いに答えられる言葉を、虎徹は持たない。
いまの彼にできることと言えば、そばに寄りそってやることくらいだ。
その背中に腕をまわして軽く叩いてやると、バーナビーは子供みたいに淡い溜息をついた。
大人だって、いやな夢を見て夜中に目が覚めたときには心細い気持ちになるものなのに、 こいつは子供のころからこんな夜を過ごしていたのだ。
長いあいだ、暗闇の中で一人きり、悲しみに耐えてきたのだ。
そう思うとやりきれない。
「すみません、驚かせてしまって・・・」
バーナビーに申し訳なさそう顔をされると、こっちの方が辛くなる。
「あ、そうだ!バニー、いいものがある」
虎徹は、先ほど老婦人からお礼代わりにもらった香水のことを思い出した。
「アロマですか?珍しいですね、あなたがこんなシャレたものを・・・」
虎徹から渡された香水壜を見て、バーナビーは怪訝な顔になる。
「さっき、もらったんだ」
と虎徹が答えると、若者は「なるほど」と納得の表情を見せた。
「お前、それはちょっと失礼じゃないの?」
虎徹が不満げに言い返しても、バーナビーは相手にせず、アロマの匂いを嗅いでいる。
「いい香り・・・僕も結構凝っていろいろ試してみましたけど、これは初めてですね。
なんだかとても懐かしい・・・」
「いい夢見られるおまじないだとさ」
「ええ、これならよく眠れそうです」
「この匂いに包まれて同時に寝ると、同じ夢を見られるってよ」
「・・・まさか、そんなの信じてるんですか?」
年下の相棒に冷たい眼差しを送られて、虎徹は怯んだ。
「べっつにいいだろー。そのくらいのロマンがあってもさ」
「あなたって本当におめでたい人ですね」
「お前は本当にかわいげねえなあ。
せっかくお前のために持ってきたのに・・・」
「さっき、人からもらったって言ってましたよね?
たまたまもらっただけなんでしょう?それって、僕のためなんかじゃないですよね」
「・・・バニー、お前すねてんの?」
「どうして僕が拗ねるんです」
「拗ねるな、拗ねるな!ほら、寝ようぜ」
「だから、拗ねたりしてませんって」
「同じ夢が見られたら・・・お前の夢の中に入っていって、 子どもの頃のお前を悪い夢から助けてやるよ。
そうすりゃ、二度と悪夢にうなされることもなくなるだろ?」
「全く・・・非論理的、非科学的ですね」
呆れた顔をする若者の頬に、虎徹は軽くキスをする。
「おやすみ、バニー。今夜は安心して眠れ」
にっと満面の笑みを寄こしてくる虎徹に、 バーナビーは呆れたような困ったような顔をして、言葉を探している様子だったが、 結局何を言ってもムダだと悟ったのだろう。
「・・・おやすみなさい、虎徹さん」
やがて柔らかな表情になって、その瞳は閉じられた。


「・・・さん。お客さん、起きてくださいよ」
肩をゆすられて、虎徹は目を覚ました。
「こんな所で寝たりしちゃ危ないですよ。たちまち身ぐるみはがされちまう。
ここがシュテルンビルトの最下層・・・スラムだってことを忘れちゃいけない」
虎徹が顔を上げると、目の前の男がそう告げた。
知らない顔だ。
グラスに琥珀色の液体を注ぎ、氷を入れてかきまぜている。
その背後の棚には、色とりどりの酒瓶が雑然と並んでいた。
上半身を起こして辺りを見回すと、薄汚れた居酒屋のようだ。
どうやら、バーのカウンターで寝込んでいたらしい。
目の前の男は、この店のマスターのようだ。
「あれ?」
自分の家で、バニーと一緒に眠ったはずなのに?
どうして、こんなうらぶれた居酒屋に?
一緒に寝ていたはずのバニーもいない。
一体どうなってるんだ?
「お客さん、そろそろ帰った方がいい。
ヤバイことに巻き込まれる前にね」
マスターが軽く顎をしゃくってみせたので、その先に目をやると、 四・五人の男たちが店の隅にたむろっている。
どう見ても、カタギには見えない。
「よう坊や、一人かい?」
どうやら彼らは一人の少年を取り囲んでいるようだ。
「せっかくスラムに来たんだから、楽しもうぜ」
「お兄さんたちがイイ所を教えてやるよ」
虎徹はカウンターから立ち上がった。
「おれの連れに何か用?」
いきなり現れた虎徹に、明らかに男たちは怯んだ。
「なんだ、お前は?」
「この可愛い坊やはおれの連れなの。悪いな。
パーティーなら、他をあたってくれる?」
手ごろなカモがいる、と何も考えずに絡んできただけなのだろう。
男たちはそれ以上こだわることもなく、軽く舌打ちして店から出て行った。
虎徹は、一人その場に残された少年に目を向けた。
コワモテの男たちに囲まれて怖かったのだろう、じっと俯いている。
「危ない所だったな。子供が一人でこんな所に来ちゃダメだろー。
今のうちに家に帰りな」
虎徹がそう声をかけると、黙って俯いていた少年が顔を上げた。
とたん、虎徹の体は吹っ飛んだ。
少年の右腕が動いたと思った次の瞬間には、拳が虎徹の顔面にヒットしていた。
おっそろしくキレのある右ストレート。
ふいを突かれたとはいえ、避けられなかった。
こんな相手はめったにいない。
――なんなの、この子!?
「助けてやったのに、なぜ殴る!?」
「僕を侮辱したからだ」
「へ?」
「僕のことを『可愛い坊や』って言っただろ。
まったく余計なことを・・・ あの程度の連中、僕一人でどうとでもできる。
おとなしくしてたのは、あいつらを引っ掛けるため。
せっかく、ウロボロスのことを聞きだそうとしてたのに・・・!」
少年は、きっと睨んできた。
綺麗なエメラルドグリーンの瞳。
くるんとカールした金色の髪。
端正な面差しに宿る、小憎らしげな表情。
「・・・バニー・・・?」
「は?」
少年が眉間にシワを寄せて、虎徹を見つめ返してきた。
その表情。
見間違えるはずがない。
年の頃は、十六か七・・・まだ幼さの残る顔立ちをしているが、間違いない。
「お前、バーナビー・ブルックスJr.・・・?」
「どうして、僕の名を?」
少年は心底驚いた顔をしていた。
虎徹の前にいるのは、高校生のバーナビーだった。


つづく



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