虎徹を乗せるつもりで公園のパーキングにつけておいた車にトラを乗せ、
誰にも姿を見られないよう細心の注意を払って、バーナビーは自宅に戻った。
ドアを開けてやるなり、トラは悠々と部屋を横切って、ソファに飛び乗った。
いつも虎徹がこの部屋に来たときに座る場所に陣取って、
前足で顔を洗ったりして、すっかりくつろいだ様子だ。
バーナビーの部屋は、広さの割に家具が少ない。
『これじゃ寂しくねえか?』
そう、彼の年上の相棒はよく言っていた。
バーナビーは他人の家の様子など知らないので、これが普通だと思っていたのだけれども。
でも、今回はそれが幸いした形だ。
虎徹の家みたいに、いろんなものが散乱していたら、トラみたいな大きな動物、
入れることもできやしない。
すっかり部屋に馴染んでいるトラの姿に安心して、バーナビーもお気に入りのカウチに腰を下ろした。
そうしていつもの習慣で、テレビのスイッチを入れる。
ニュースチャンネルが部屋のスクリーンに映し出された。
『今日の夕方、ブロンズ地区の公園で、女性が血を流して倒れているのが発見されました。
女性は死亡が確認されました。
解剖の結果、鋭利な刃物で刺されたことが死因と特定され、
殺人事件として警察が捜査にあたっています。
また、同じ場所で、付近の住人によって、トラが目撃されています。
一時は、このトラが女性を襲ったのではないか、との憶測も流れましたが、
そういったことはありませんので、ご安心ください。
しかし、現在もこのトラは町の中に潜んでいると思われます。
司法局としては、市民の安全を最優先に考え、トラの射殺許可を出しております。
目撃された場合は、すみやかに警察までご連絡をお願いします。
では、次のニュースです――』
女性キャスターが先ほどの事件のあらましを伝えていた。
虎徹は、この女性を刺した犯人を見たのだろう。逃走した犯人を追跡していった。
携帯電話を落としたことに気付かないまま。
しかし、ヒーロー同士の通信手段ならば、PDAがある。
たとえ携帯電話は落としても、腕につけたPDAは失くすまい。
それは、ヒーローの証のようなものだから。
バーナビーは自分の腕にはめたPDAに視線を落とした。
ずっと沈黙を守っているそれをじっと見つめる。
――一体どこに行ったんだ・・・?
通話開始のボタンを押しかけて、バーナビーは思い直した。
――バカらしい。
虎徹にその意思があるのなら、自分に連絡をする方法はあるのだ。
それをしてこないということは、彼にその意思がないということ。
人が止めるのも聞かず、勝手に犯人を追いかけていったのは、向こうの方だ。
そう。気を揉むことなんてない。
こっちから連絡してやる義理なんてないのだ。
向こうから頭を下げて、協力を求めてこない限り。
いい大人なんだから、子供じゃないんだから、心配なんてしてやるものか。
バーナビーは腕のPDAから視線を上げた。
とりあえず、目下の問題は、トラの方だ。
射殺命令が出されていると報道されているのでは、誰にも見られないようにしなければ。
ソファに目をやると、いつの間にかトラの姿は消えていた。
「どこにいったんだ?」
ごとん、とキッチンの方から何かが倒れる音がした。
バーナビーがキッチンの灯りをつけると、テーブルの下にトラがいた。
その太い足元には、先ほどバーナビーがトラと一緒に持ち帰ってきた箱が倒れている。
虎徹の家に届けようと車に乗せていたのだが、このアクシデントで渡せなくなったもの。
トラは器用に口と前足を使うと、その外箱を破った。
中から転がりでたのは、一升瓶だ。
トラは酒瓶を口にくわえると、小首をかしげるようにして、バーナビーをじっと見つめてきた。
『ちょうだい』
と、おねだりしているように見える。
「イタズラしちゃダメだよ。返しなさい」
バーナビーが手を差し出すと、トラは酒瓶をくわえたまま、一歩下がった。
「それは水じゃないんだよ。お酒なの。お前は飲めないだろう?」
バーナビーが言っても、トラは酒瓶を放そうとしない。
その様子を見て、バーナビーはやがて表情を和らげた。
「分かったよ。そんなに気に入ったのなら、飲んでみる?」
スープ皿を出して、一升瓶の中身を少しだけ注いでやる。
トラは香りを嗅いで目を細めると、スープ皿に顔を埋めるように大きな舌を器用に使ってすくい始めた。
すっかり夢中になっている。
それを眺めていたバーナビーだったが、
「・・・僕も飲んじゃおうかな」
お気に入りのグラスを取り出すと、注いでみた。
水のような透明感。
鼻腔を華のような香りがくすぐる。
一口飲んでみると、
「・・・いい香り。後味もいいし。へえ、これが大吟醸ってものか」
「ガウ」
トラがバーナビーの袖をくわえて引っ張った。皿の中は空っぽになっている。
『おかわりちょうだい』ということなんだろう。
「・・・本当は虎徹さんへのプレゼントに用意してたんだけど・・・
今日渡せないんなら意味ないしな。
よし、これは僕らで飲んじゃおう」
バーナビーはスープ皿になみなみと日本酒を注ぎ、自分のグラスにも注いだ。
「一人で犯人を追いかけていって・・・こんな美味しいお酒を飲み損ねて。
おじさんはバカだな、本当に」
小さく呟いて、バーナビーはグラスを呷った。
翌朝。バーナビーは柔らかな肌触りと温もりの中で目が覚めた。
トラがまるでわが子を抱くように、その大きな体でバーナビーを包んでいた。
ふかふかの毛皮が心地よい。
一升瓶を抱えたまま、キッチンでそのまま酔いつぶれてしまったらしい。
「・・・僕としたことが」
バーナビーは顔を洗ってさっぱりすると、腕のPDAを使って、ヒーローTVのスタッフルームに連絡をした。
テレビ局は二十四時間体制で、常にスタッフが詰めている。
犯人を追跡していった虎徹が戻っていたら、ここに伝わっているはずだ。
しかし、虎徹からの連絡はないようだった。
まったくあのオジサンときたら、世話のやける・・・
さすがに一晩経っても行方不明のままでは放っておくわけにもいかない。
仮にもコンビを組んでいる相棒だ。
別に、自分が折れたわけじゃない。あくまでも仕事のためだから。
そう自分に言い訳して、バーナビーは虎徹のPDAにコールした。
すると――
すぐ近くで、PDAのコール音がした。
「え?」
音のする方に目をやると、トラがすやすやと眠っている。
その前足をじっと見つめると、長い毛足に埋もれるように、緑のPDAが光っていた。
虎徹のPDAだ。
長い毛に埋もれていて、昨夜は気付かなかった。
「どうして?」
どうして、トラが虎徹のPDAをつけているのだ?
やがて、トラが目を覚ました。
ぐわっと大きな口を開けて欠伸をして、うんと伸びをする。
呆気にとられているバーナビーに向かって、「ガウッ」と一声吠えた。
まるで、「おはよう」とでも言うように。
一体どういうことなんだ?
バーナビーが考え込んでいると、
「わあっ」
いきなりドカンと何かが背中にぶつかって、その勢いでソファに押し倒された。
「もう虎徹さん、ふざけるの止めて下さいって何度言ったら――」
言いかけて、はっと気付く。
ソファに倒れた自分の隣には、あのトラがいた。
無邪気な顔でじっとこちらを見つめている。
「・・・なんで、虎徹さんだと思ったんだろ」
バーナビーはじっとトラの瞳を見つめた。
「まさか、お前、虎徹さん・・・?」
「ガウッ」
人間がトラに?
まさか、ありえない。
でも・・・そういうNEXT能力があったら?
身近なところでも、ヒーロー仲間の折紙サイクロンには「擬態」という能力がある。
どんなものにでも、そっくりに擬態できるというNEXT。
それが、自分の姿をコントロールするのではなく、他人の姿を変えるものだったら・・・?
(おお、バニー!!さすが、相棒!!
おれのこと、分かってくれたのか!!)
虎徹は喜びのあまり、声を上げたが、それは、
「ガオッガオッ」
という、獰猛なうなり声にしかならなかった。
中身はそのままなので、バーナビーの言っていることは分かるのだが、
なにせ獣の姿では、言葉など話せない。
「でも、まさかそんなこと・・・」
しかし、バーナビーの方はまだ自分の仮説に確信が持てずにいた。
それはそうだ。人間が動物になるなんて、そんな荒唐無稽な話、どうして信じられるだろう?
どうにかして確かめることはできないだろうか?
このトラが自分の相棒・ワイルドタイガーだと確かめる方法は・・・
彼は、彼の相棒と違って、直感だとかそういう曖昧なものを理由にするのは嫌いだった。
客観的な事実に裏打ちされたものしか、信じない。
しばし考え込んでいたバーナビーだったが、やがてノートパソコンに手を伸ばした。
いくつかキーボードを叩いてから、トラの前にディスプレイを差し出した。
「お前はどっちが食べたい?」
パソコンのディスプレイに映し出されている写真は二枚。
一枚は、血のしたたりそうな新鮮な牛肉の塊。赤身にさした霜が絶妙な塩梅だ。
そして、もう一枚は、皿に盛られたチャーハン。
「最高級のフィレステーキ?それとも、僕の手作りチャーハン?
お前なら、どっちを選ぶ?」
バーナビーが尋ねると、トラは、はしっとステーキの写真の上に分厚い肉球を乗せた。
「・・・はあ。やっぱりただのトラか・・・
虎徹さんだったら、絶対僕のチャーハンを選んでくれるはずだもの」
がっくりうなだれたバーナビーを見て、トラの姿になっている虎徹は慌てた。
――ええっ!!ごめんよ、バニー!!
もちろん、お前の作ってくれるチャーハンは好きだぞっ!
おれのために、頑張って練習してくれてたんだもんなっ!
でも最高級フィレステーキなんて、めったに食えないし・・・つい・・・
それにしても、マジで美味そうだな、コレ!!
ヨダレ出そう・・・!
「ああ虎徹さん、どこに行っちゃったんだろう・・・」
バーナビーが頭を抱えたまま、呟く。
そんな相棒の姿を前にして、虎徹はぶるるっと頭を振った。
――いや!!
ダメだ、ダメだ!
おれは人間なんだから、欲望には流されないぞ。
バニー、お前にそんな悲しい顔をさせるわけにはいかない!
虎徹は心を強くして、ディスプレイに映し出されたチャーハンの写真を前足でバンバン叩いた。
バーナビーが顔を上げる。
「・・・お前、僕のチャーハンでいいの?」
年下の相棒の問いに、虎徹は頷いた。
もっとも、その声は「ガウガウッ!!」というトラの咆哮にしかならなかったのだけれども、
それでも虎徹は叫び続けた。
(ステーキなんていらない!一生、お前のチャーハンだけでいいから!!
どうか、おれのことを分かってくれ、バニー!!)
チャーハンの写真をバンバンと叩き続けて、必死に訴える。
(おれに気付いてくれ、バニー!!)
ガシャ。
嫌な音がして、パソコンのディスプレイが真っ二つに割れた。
興奮して、ディスプレイを叩きすぎた。
――しまった・・・
トラの姿になっている虎徹は、恐る恐る若者の方に目を向けた。
バーナビーは冷たい緑の瞳で、壊れたパソコンを見つめている。
――怒ってる・・・
そう言えば、つい二、三日前に新しいパソコンを買ったという話を聞いたような。
(ごめん、バニー・・・!!)
虎徹の言葉は、トラの声帯では「クウウン」という情けない吠え声にしかならなかった。
「・・・はあ」
バーナビーは深いため息をついた後、眼鏡の縁に指をかけ、くいっと正しい位置に戻すと言った。
「あなたは、虎徹さんですね」
その言葉に、虎徹は嬉しさのあまり、相棒に飛びついた。
つづく
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