「・・・そもそも、トラのような大型の動物を室内で飼おうというのが、無理だったんですね」
コーヒーを一杯飲んで、ようやくバーナビーはいつもの彼らしい冷静さを取り戻したようだ。
「広い庭でもあればいいのでしょうが・・・」
お気に入りのカウチに腰を下ろして考え込んでいる。
「いっそ郊外に庭付きの一戸建てでも借りて暮らすとか・・・
虎徹さん、どう思います?」
バーナビーに話しかけられたが、虎徹としてはどうもこうもない。
寝起きの悪いバーナビーの八つ当たりをまともに食らって、まだ、こめかみがジンジンする。
ぐったりと床に寝そべったままの態勢で、恨みがましくバーナビーの澄ました顔を見上げると、
「・・・なんですか。何か言いたそうですね?
言っておきますけど、こめかみが痛いのは、自業自得です。
僕の機嫌が悪いのは、朝に弱いせいじゃありませんからね」
ぷいと視線をそらして、朝刊を手に取る。
機嫌が悪い自覚はあるんだ。ちょっとやり過ぎたと自分でも思ってるんだろう。
すぐに目をそらしたのは、罪悪感の表れだ。
そういう分かりやすいところが、この兎ちゃんのかわいらしさだ。
しょうがねえな、と思ってしまう。
トラの姿の虎徹は、琥珀の瞳を細めた。
虎徹の視線の先では、若者がツンとした表情を崩さないまま新聞を読み始めた。
と、みるみるうちに、彼の頬が興奮気味に紅潮していくのに気づいた。
「・・・ガウ?(どうした、バニー?)」
「虎徹さん!僕たちの味方になってくれそうな人がいましたよ!」
宝物でも見つけた子供のように嬉しそうに、バーナビーが弾んだ声を上げた。
バーナビーが見つけたのは、ある動物愛護活動家の取材記事だった。
その男性は、数々のドッグショーやキャットショーで受賞経験のある有名なブリーダーでもあるが、
彼が自宅で飼育しているのは、血統書付の高価な動物たちだけではなかった。
保健所で殺処分されそうだった犬や猫を引き取り、広い自宅で面倒を見ているという。
現在、巷を賑わせているトラについても、「射殺処分は人間のエゴ」と批判的な意見を述べていた。
『もし私がそのトラを見つけたなら、自宅に引き取り、最後まで責任をもって世話をしますよ』
記事は、彼の言葉でしめくくられていた。
「広いお屋敷ですね。ここなら、今のあなたでも十分体を動かせそうですね」
バーナビーは車の後部座席を振り返り、姿を大型の肉食獣に変えられてしまった相棒に声をかけた。
ドライブ中は人に見られないよう、毛布をかぶっていた虎徹だったが、その声に顔を上げる。
ウインドウから外を見ると、テレビドラマでしか見たことのないようなお屋敷がそびえたっていた。
バーナビーが門前のインターホンから連絡して門扉を開けてもらい、そのまま車を進めても、玄関先までたっぷり五分はかかった。
芝のはられた庭はその果てが見えないほどの広さだ。
ときおり、犬の声が聞こえるが、姿は見えない。
この広大な庭のどこかで、自由に駆け回っているのだろう。
車から降りて、バーナビーは呼び鈴を押した。
「先ほどご連絡を差し上げた、バーナビー・ブルックスJrです。
突然のお願いにもかかわらず、快く応じてくださって感謝します、ミスター」
『お待ちしておりましたよ、バーナビーさん。さあ、中へ』
インターホンから声がして、ガシャとドアの開錠された音がした。
「行きましょう、虎徹さん」
「ガウ(あいよ)」
バーナビーと並んで、トラの虎徹も屋敷に入っていく。
長い廊下を歩くバーナビーの表情は明るい。
「本当に親切な人でよかった・・・見ず知らずの僕の話を聞いてくれたうえに、
すぐに自分のところに来るように言ってくれるなんて・・・
動物好きに悪い人間はいないって本当なんですね」
いつもクールぶってる彼にしては珍しく、興奮した様子を隠せずにいる。
よっぽど嬉しかったのだろう。
アポロンメディアのツテを使って、かの記事を書いた記者から動物愛護活動家の連絡先を手に入れると、
直接、バーナビーが電話をかけた。
ヒーローのバーナビーだ、なんて言っても、胡散臭いと思われて相手にされなくても当然の状況だ。
しかし、彼はバーナビーの話を真面目に聞いてくれて、
射殺命令が出されているトラを預かりましょうとまで言ってくれた。
マンションの住人に姿を見られてしまい、
もう自分の部屋に隠しておくのも限界だと思っていた彼にとっては、これ以上心強い言葉はないだろう。
「本当に広いお屋敷ですね・・・これなら、僕のために一部屋くらいお借りできますよね」
「ガウッ!?(はあっ!?)」
バーナビーが漏らした言葉に、虎徹は思わず耳を疑った。
「ガウッガウウウッ!?(お前も一緒について来る気!?)」
「なに驚いてるんです? 当然でしょう。今のあなたには、世話をする人間が必要です。
そして、あなたのような手のかかる人――今はトラですが――の面倒を見られるのは、僕くらいですよ?
大体、あなたを一人にしておいたら、何をしでかすか分かったものじゃありません。
これ以上、事態を厄介にされては困りますから」
バーナビーはきっぱり言ってから、悩ましげに眉根を寄せた。
「できれば、ユニットバスでもいいので、部屋にバスタブがついているところがいいのですが・・・
他人の使ったバスタブってどうしてもダメなんですよね、僕」
マジでここに住みつく気だよ、この子!
虎徹がいつもの人間の姿だったら、そう突っ込んでいるところだが、
残念ながらトラの身ではツッコミもできない。
――まったく、このハンサムはやっぱりどこか残念だ。
いくら動物愛護の活動家でも、みすみす殺されそうな命を保護はしても、
そのトラにくっついてくる残念なハンサムまでは引き取れないだろう。
「バーナビーさん、お会いできて光栄ですよ。よく私に相談してくださいました」
「こちらこそ、突然のご相談にもかかわらず、お招きいただいて・・・」
男の腕の中には、美しいシャムネコが抱かれていた。
「ああ、かわいいですね」
愛らしいネコに思わず笑みを浮かべると、バーナビーは視線を足元の虎徹に向けた。
「良かったですね、虎徹さん。ここにいれば、綺麗なお嬢さん方とたくさんお知り合いになれますよ」
「グルルル・・・!!」
しかし、足元のトラは牙を剥いて唸っている。
「虎徹さん?」
「グアアゥッ!!」
トラが吠えた。
怯えたシャムネコが飼い主の腕から飛び出していった。
このトラの正体を知っているバーナビーでも、その咆哮を間近で聞いて、本能的な恐怖を感じたほどだ。
今まで、こんな風に吠えたことなどなかったのに。
「グルルル・・・!」
敵意をむきだしで唸っているその姿は、恐ろしい肉食獣にしか見えない。
「ちょっと、虎徹さん!おちついて!一体どうしたんですか!?」
バーナビーが止めようとしても、トラは目の前の男に牙を剥き、威嚇するのをやめない。
今まではちゃんと意志の疎通ができていたのに。
突然、言葉の通じない、野生の獣になってしまった。
「虎徹さん・・・?」
混乱しながらも、バーナビーはトラの傍らに膝をつき、その琥珀の瞳を見つめた。
「一体、急にどうしたんです・・・・?」
みゃおん。
トラの太い足元には、先ほどのシャムネコがいた。
怯えたように尻尾を丸め、耳を後ろに向けているが、このネコが怖がっているのはトラではないようだ。
そうなら、こんな風にぴたりとトラに体を寄せたりなんてしない。
このネコが怯えた瞳を向けた先にいるのは――
「ガオゥッ!!」
突然トラが吠えて、飛びかかってきた。
虎徹さん、僕のことが分からなくなってしまったの・・・?
バーナビーが茫然としていると、トラは彼の上を飛び越えていった。
「え?」
振り返ると、トラはこの屋敷の主に牙を剥いて威嚇していた。バーナビーを守るように。
男の手には、ナイフが握られていた。
一体どういうことなんだ・・・?
混乱した頭をバーナビーは必死に整理する。
そうして、ようやく一つの結論に達した。
「もしかして・・・彼が犯人なんですか・・・?」
バーナビーが漏らした言葉に、トラは「ガウッ!」と嬉しそうに吠えた。
これですべてに納得がいく。
「貴様か!公園で女性を襲い、虎徹さんをトラに変えたのは!!」
ナイフを握った男の腕をねじりあげ、バーナビーは叫んだ。
質問ではない。確認だ。だから、相手の返事など待たずに続けた。
バーナビーにとって何より重要な言葉を。
「虎徹さんを元に戻せ!!」
「・・・一体なんの話だね?」
しかし、男は悠然としたものだ。
「とぼけるな!!今だって、このナイフで僕を殺そうとしただろう」
激昂するバーナビーに男はにこやかにほほ笑んだ。
「それは誤解だよ。トラに襲われそうになった君を守ろうとして――」
「ウソをついても無駄だ。
貴様は人間を動物の姿に変える力を持つNEXTなんだろう!?
その力で、殺人現場を見られた口封じに、ワイルドタイガーを動物に変えた・・・」
「おもしろいことを言うねえ。そのトラが人間だって?」
「そうだ。このトラは、僕の相棒のワイルドタイガーだ。
女性を襲う貴様の顔を見ているぞ。
犯行の現場を目撃されているんだ。もう逃げられない。素直に罪を認めろ」
「トラがそう言ったのか?そのトラは人間の言葉を喋れるのかね?
じゃあ、ここで証言させてみたまえ」
「トラは喋らない。でも、人間だから、僕の言うことは分かる。
だから、僕にも彼が何を伝えようとしているのか、なんとなく分かる」
「トラが喋ったのを聞いたわけでもないのに、
君はどうしてそのトラが人間だと・・・自分の相棒だと信じられるんだね?
人間が動物になるなんてそんな話、聞いたこともない。
本当にただのトラかもしれないじゃないか」
「前足に、ワイルドタイガーのPDAをつけていた」
「それだけのことで、このトラが人間だなんて言うのかね?
そんな話、誰が信じる?」
「誰も信じないかもしれない・・・でも、僕には分かる。
このトラは僕の相棒だと」
「・・・驚いたね。こんなことがあるなんて。
動物に姿が変わっているのに、その正体に気付いた人間は初めてだよ。
これがコンビ愛ってものなのかい?厄介だねえ。
トラに射殺命令が出たと聞いたので、口封じは完璧だと安心していたのに」
「貴様・・・ワイルドタイガーを元に戻せ!!」
「それはできないよ。わたしの力は、人を動物に変えるだけ・・・逆はできない」
「元に戻す方法はないのか・・・!?」
「あるよ」
「言え」
「それが人にもの尋ねる態度かね?」
「言え」
「・・・おっかないねえ・・・とても正義の味方とは思えない顔をしているよ、君」
「言え」
クウウン・・・トラが啼いて、バーナビーの袖を引っ張った。
琥珀の瞳がじっと若者を見つめている。
それに気付いて、彼はグリーンアイズを優しく細めた。
「心配しないで、虎徹さん。
殺したりはしませんから。
ただ、肋骨の二本や三本は折ってしまうかもしれませんけどね・・・
でも大丈夫、今はテレビカメラも回っていませんし。
誰にも見られてませんからね・・・!」
バーナビーの表情を見て、男は彼が冗談を言っているわけではないことを悟った。
白旗を振るように、両手を上げると、
「分かった、分かった、言うよ。
でも、君の相棒の場合は多分ムリだと思うがね」
「なんだと?」
「元の姿に戻るには、姿を変えられた時と同じ状況を再体験すればいい。
つまり、彼の場合は、目の前で人が殺される場面に立ち会うってことだ」
「そんな・・・!」
絶句するバーナビー。
パトカーのサイレンの音が近づいてきた。
それを聞いて、男は嬉々とした表情を浮かべた。
「やっと来たか・・・警察ときたら、ノロマだな。
せっかく探しているトラがいると電話してやったのに。何分かかってるんだ。
これだから、殺人犯も捕まえられないんだ」
「貴様・・・!」
「トラ退治の始まりだ」
眉を吊り上げたバーナビーに、男は笑った。
そうして、庭に向けられた大きな窓を開け、外に飛び出した。
「助けてくれ!!トラに襲われる・・・!!」
拳銃を携えた警官たちがたちまち集まってきて、その銃口を一斉に向けた。
「トラだ!!」
「撃て!!」
「やめろ!!」
咄嗟に、バーナビーはトラの前に身を投げ出した。
「撃たないでください!これはトラじゃないんです・・・!!」
「危ないから下がって!!」
怒鳴る警官隊に、トラが吠えた。本能を揺さぶる野生の声で。
人間も動物だと分かる瞬間だった。
誰もがその咆哮に身を凍らせた。
その隙をついて、トラはひらりと身を躍らせた。
「虎徹さん!!」
バーナビーは咄嗟に能力を発動させて、その後を追った。
我に返った警官隊の数人がトラに向けて発砲する。
しかし、トラはそれをかわして姿を消した。
「待って!待ってください、虎徹さん!!逃げてどうするんです!?」
バーナビーが追いついて、トラの前に立ちふさがった。
「このまま逃げたら、ただのトラとして追われることになってしまう・・・
誤解を解かないと・・・!!」
しかしトラは、バーナビーに向かって牙をむいて威嚇してきた。
どこから見ても、人間を襲おうとしている野生の肉食獣だ。
しかし、バーナビーには分かる。
「帰れって言ってるんですか?こんな姿のあなたを置いていけるわけないでしょう」
「グルル・・・」
トラはうなり続けている。まるで人の言葉を解さない獣のように。
バーナビーはそんな獣に近づいていく。
「姿は変わっても、中身は変わらないんですね。
僕を巻き込みたくないって思っているんでしょう?」
ふいに、バーナビーが膝をついた。
壊れた人形のように。
慌てて、虎徹が駆け寄ると、彼はトラの太い首に両手を回した。
近くで見るバーナビーの顔は紙のように白い。
それで気付いた。
太腿には、赤黒い沁みが滲んでいることに。
見る間にその沁みは広がり、地面にまで滴っていく。
バーナビーの顔からは完全に血の気が失せていた。
がっくりと体が崩れた。
「バニー!」
呼ばれて、バーナビーは遠ざかりそうな意識を必死につかんだ。
すっかり自分の呼び名として定着してしまっている。
そんな自分に苦笑する。
うっすらと目を開くと、目の前には、懐かしい男の顔があった。
「虎徹さん、元に戻ったんですね・・・よかった・・・!!」
ほっと気が抜けて、バーナビーの意識はそこで切れた。
「バニー、しっかりしろ!!」
いつの間にか、虎徹の姿は人間のものに戻っていた。
それはつまり、トラに変わった時と同じシチュエーションを迎えたということ・・・
警官隊が発砲した弾丸が、よりによってバーナビーに当たってしまったなんて!
目を閉じたままぐったりと倒れこんだ彼の体をいくらゆすっても、目覚める気配は全くない。
その間にも、血は流れていく。
とりあえず、止血をしなければ。
「何か足を縛るものを・・・」
だが、辺りには何もない。
自分はトラから元に戻ったばかりで全裸だし。
そこに目に入ったのは、バーナビーのお気に入りのベルトだ。
「ちょっとこれ借りるぞ」
気を失っている若者のライダースジャケットを脱がせると、
中のシャツをたくしあげ、ベルトのバックルに手をかけた。
久しぶりに指を使うせいか、うまく外せない。
気ばかり焦って、ガチャガチャ言わせていると。
「キャー!!」
女の子の悲鳴が上がった。
「虎徹、お前、なにしてんだ・・・?」
ロックバイソンが顔を引きつらせている後ろでは、ブルーローズが顔を両手で覆っている。
先ほどの悲鳴は彼女のものらしい。
「ワイルドくん、そんな恰好で寒くないのかね?」
スカイハイが不思議そうな顔で尋ねてきた。
「・・・ええと、女性は見ない方がいいですよ」
折紙サイクロンが控えめながらも冷静に、
真っ赤になったブルーローズときょとんとしているドラゴンキッドをこの場から引き離す。
「あらまあ、タイガーってば情熱的なのねえ。
でも、子供の前じゃダメよ?」
ファイヤーエンブレムが諭してきた。
いつの間にか、トラ退治に召集されたヒーローたちに囲まれていたのだった。
「へ?」
虎徹は、仲間たちの冷たい視線を浴びながら懸命に頭を働かせた。
ぐったりと横たわっているバーナビーに馬乗りになり、上着を脱がせ、ベルトを外そうとしている自分は全裸だ。
他人が今のこの状況を見たらどう思うか?
答えは明白。
虎徹は喚いた。
「誤解だー!!」
つづく
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